オンブズマン町長の心意気
 
西村 今月のゲストは、沢山保太郎東洋町長です。友人で市民オンブズマン高知代表の窪則光さんもお話に加わっていただきます。4月22日の東洋町長選挙で有効投票者の70%を超える支持を受けられ当選されました。国の強引な文献調査の推進に対して東洋町民の民意を示したとして全国から賞賛されています。

 沢山町長は「民主的で透明性の高い町政運営を実行する。」と言われています。
従来は町の特別職と幹部職員での会議である庁議の公開も計画されているようです。今回の高レベル放射性廃棄物最終処分場応募問題でも、前町長の専決事項で独断先行したことが町政混乱につながりました。
 様々な情報公開を実施することの効用についてお話を聞かせてください。

 
沢山 「民主主義」と言う言葉は、選挙などでもよく使われますね。「行政を透明にする」ということもいろんな候補者が選挙時に公約に掲げています。
 ではその人達が当選されてから本当に実行しているのか・首長になったとたんに民主主義でなくなり、(行政の透明性も)かき消えてしまうのではないか。
 従来のとうり閉鎖的な行政になってしまいます。
 私の場合は選挙のとき、あるいは普段から(オンブズマン活動)言っている事を東洋町長になって。本当に実行しています。町長に就任した第1回目の庁議から即座にそれを実行(庁議を情報公開する)しています。
 
 とにかく透明性にするというのが本来の行政のありかたです。なにも事新しい(目新しい)ことではない。そういうことですので、[行政を透明化する」という候補者が多くても全然実行しない人が多いのです。

 もちろん行政を透明にすると言うことは町民にただちにすべてのことがただちにわかると言うことです。その情報により町民が自ら現在の行政について知り、判断することが出来るのです。

 それから透明にすることにより町長が、裏の取引とか、ヤミの取引をしたり。そういうことは今後は一切(行政を本気で透明化すれば)なくなります。そんなことを町長がしておれば公開庁議ですべて暴露されるからです。

 庁議が町長の糾弾の場になることになりますね。裏の取引なんかしておれば。

収録の様子です。
発言される沢山保太郎東洋町長
 

西村 あらためて東洋町長に就任されて、見えてきたこと。気がついたこと。こんなことがあったのか。おかしな事実などはありましたでしょうか?
 
沢山 例えばみんなが知っている東洋町役場前の駐車場。生見海岸沿いの駐車場。毎年1000万円を超える収入をあげているんだけれども。東洋町が駐車場の維持管理費用も出しています。
 ところが東洋町は「管理条例」というものを一切作成していません。前町長と一部の団体とが単なる契約だけで駐車場から徴集したお金は全部(その団体に)渡していました。(東洋町には1円も入りません。)
 ということを町とその団体は契約をしています。1円もお金が(年間1000万円を超える駐車場から徴集される)東洋町へはいっていません。
東洋町役場前の駐車場。海の近くにももう1箇所駐車場があります。
 
 なんのための契約だったのでしょうね。
 
西村 駐車場の維持管理費は東洋町が支出をしていた。駐車場からの収入は一切東洋町へ入らなかった。
 
 だれが一番得しているのでしょう。
 
沢山 そういうしがらみもすぐに解除する。と担当課長にすぐに指示をだしました。
 
 そういったことを町民に情報公開をしてお知らせする。町政の1つ1つを「みんな勘違いしているんだぞ」とあらためて発表していかないといけないね。
 
西村 地元紙(高知新聞)などの報道によりますと、沢山町長が誕生したとたんに教育長が辞任。4人の教育委員全員が辞職する事態になりました。
 事情を知らない高知市民には、いまだに町内に対立があるのではないか。沢山町長の独断先行のイメージすら感じてしあむのですが、そのあたりの事情はどうなっているのでしょうか?真相はどうなのでしょう?
 
沢山 5人の教育委員でしたが、まず教育長が先に辞任されました。この教育長は前町長の核推進派とみられる人たちと一体となっていました。助役が辞めると同時に辞職をされました。
 あと4人残られた教育委員の人たちに、わたしのほうからあらかじめ「教育委員会の制度はこういうものです。」と説明いたしました。
 
 肝心なところは教育委員というのは、[諮問機関の委員ではない。」ということです。教育行政の責任ある「執行官」だと。そういう立場で週に2回でも3回でも教育委員会へ出てきたり、学校現場へ行かれたりしていただきたい。
 子供達に「あのひとたちが教育委員だ。わたしたちのために働いてくださっているんだ。」という認識を地域の人たちに持っていただくような活動をしていただきたいのです。
 
 世間では「教育委員会は形骸化している。」とか言われる状況もあるから、しっかり教育委員になられる人たちにはがんばっていただきたいと思います。

 わたしがそう申し上げた途端に「そんなことはできない。」「能力がない。」「時間がない。」「わたしはよう責務をはたせない。」と言われて辞表を出されました。

自然を活用した「教育」には東洋町は期待が出来ます。(写真は福留将史さんの体験授業の様子です。)
 
 こんな問題は全国的にあるんじゃないの。ようするに市長や町長の仲間たちが、「あんた教育委員」「あんた教育委員長」とか単に役職の問題という捉え方。全国で教育の問題がいろいろと取り上げられていますが、やはり[教育委員とは?」「教育委員長とは?」なにをする役職であるか。
 なにをする役職であるかさえもわからないでただやっている。あて職というのかな。そこがいまの教育問題の根本的な問題ではないかと思いますね。
 
西村 この番組は東洋町で収録しています。窪則光さんと車中で来るときに話していました。教育問題というものも、せっかく東洋町には誇るべき自然があるのに活用されていない。
 たとえば都会の子供達を受け入れて民泊して、東洋町でセミナーをするとか。もっと進んでいきますと「地方自治の実践道場」が東洋町ですから、地方議員や首長をめざす人たちとかを対象として「地方自治研修セミナー」を東洋町で開催することもできると思いますね。
 
 沢山町長の場合は市議会議員(室戸市2回)も経験されている。議員としての必要な地方自治法。地方財政法。最低限これだけ基本的な能力は兼ね備えていなくてはならないのです。

 それと今度は町長になられた地方自治体の執行部としての見えてきたこと。それも含めて「資質」というものを議員に研修していくことがもっとも大事であると思います。それが民主主義の原点であると思います。
 
 ですので沢山町長と以前にも話をしたことがありました。夏場の1週間泊り込みで地方自治研修をしようではないか。ぜひそれを東洋町で実施していただきたい。子供達のセミナーも含めて。制度をこしらえて実行していただきたいですね。

夜須でのヨット教室。東洋町でも自然体験型の体験研修は可能であると思います。
西村 「教育再生」と称して国が一生懸命やっていますけれども、地方自治の観点からの「教育の見直し」「教育の活用」が東洋町には出来るのではないかと思います。それだけの条件も背景もあると思います。
 
 教育委員は町外の人が1人ぐらいなることはできないの?
 
沢山 それはできませんね。現在は条例で町長選挙の被選挙権者でないといけないという規定があります。
 
 町内の資格のある人にしっかり沢山町長の考え方を理解いただく以外に当面はできないのですね。
 
沢山 将来そのあたりの条例も改正する必要があるかもしれませんね。
 

 こちらでいればいいんですが。1人ぐらいは町外から入ればいいとは思いますね。
 
西村 東洋町にゆかりのある人とか。
 
 お父さんが東洋町に住んでいるとか。
 
西村 東洋町に勤めている人とか。西田さんのように隣町の宍喰の人で東洋町に関係が深い人とか。そうしませんと多様な意見は出ないとは思います。
 教育委員のような執行権をもつひとは条例の問題もあり難しいでしょうが、「再生会議」のような委員は町内外から選出すれば良いと思います。
 
 活発であれば諮問委員会でもいいのですよ。
 
沢山 今度の核廃棄物反対の運動も西田さんのような東洋町外の人達が大きな仕事や役割を担っていただきました。最初は東洋町内にはなかなかリーダーはいませんでしたし。小さな単位のリーダーは育ってきましたが、大きな単位のリーダーは町外の人達が随分サポートいただきましたね。
 
西村 まちづくりも同じであると思います。今日の沢山町長の収録の立会いに西田さんにお声をかけさせていただきましたのも、東洋町の立てなおし、まちおこしにも地域のリーダーをネットワークする人。町外の人たちともつなぐ力のある人がどうしても必要であると思ったからです。
 地域コンサルタントの活動をされている中嶋健造さんの紹介もありましたし。
 

西田 私が大阪からこちらの地域へ来て13年になります。田舎に生まれ育った人が都市のネオンに憧れるのと逆パターンですね。


 こちらへ来て地域のいろんな人たちとおつきあいするうちにいろんなことを学びました。お金よりも大事なものがあると心底思いました。 

 せっかくいろんなことを学ばせていただいた環境を次の世代にも残していきたいなという単純な発想です。

 
西村 中嶋健造さんが地域コンサルタントの仕事で地域を巡回されて、室戸市や宍喰には面白い人(宍喰は西田さん)がいるのに東洋町には出会いがなかった。と言われました。いままでは出不精の人が多かったかもしれません。
 でも核廃棄物の問題でいろんな世代、いろんな地域からリーダーが町長の言われるように輩出しました。それを一過性ではなく、今後の東洋町のまちづくり(当面の目標は交流拠点の道の駅づくり)に協力いただきたいので、西田さんにもお声をかけさせていただいたのです。
 選挙は短期間で大成功でした。しかしこれからが本当の勝負ですので。
 
 だからね。高知のおもだった人達などは、「もう沢山町長の仕事は終わった。核を止めたから」という人もいますよ。でもこれから希望ある東洋町づくりに燃えているのに、核を止める程度で沢山町長の仕事はおしまいではないはずですね。

 だからオンブズマン町長が核を止めてはい終わりました。ではありません。町長になったからどんなことができるのか。実践する4年間であってほしいと思いますね。

西村 そこのところが少しだけ心配ですね。映画「7人の侍」のように農民が野武士集団から村を守る為に武士を雇いました。悪党どもを退散させました。それで「用なし」になっちゃったみたいになるというのはおかしいですよ。
 
成川 頭を切り替えまして、今後は「オンブズマン町長として世の中から注目される。」そういう形をつくればいいですね。
成川順さんは克明にインターネット新聞JANJANに投稿されています。今回の収録にも同行いただきました。現在「娘に伝える「東洋町日誌」を連載中です。)
 
 核は追い払った。次はオンブズマン町長の手法ややりかた町政運営に注目いただきたい。
 
西村 沢山町長は「民主主義は産業だ」と前回言われました。これを本気で実行すれば本当に産業になります。
 
 「民主主義は産業だ」という観点から行政をやりますと。世の中の見え方が180度違ってきます。「お金がなかったら何もできない」という考えなら「核に頼って助成金を貰って生活しよう」ということに行き着いたわけですね。

 沢山町長の発想は全く逆。そんなものに頼らなくても原点さえしっかりし、法令順守で守るべきことを守れば、まちづくりはうまく行くよ。と。
 今ある道具を使いましょう。ということです。
 沢山町長は今までのオンブズマン活動から全国初の町長です。そういった意味で今日本で一番大事なことを東洋町でやっていただきたいですね。

 
西村 オンブズマン全国大会も東洋町で開催されたらいかがでしょうか?
 
 それは良いと思う。沢山町長が音頭をとってやれば結構良い全国大会になると思うよ。
 
西村 町民のなかからの地域リーダーの発見と育成が必要であると思います。地域への思い入れがある真摯な人たちの選定作業は順調でしょうか?
 具体的には産業振興部門や、商業、観光、農業、漁業などでそれぞれの地域リーダーの人たちと行政、町会議員の相互協力が今後の東洋町づくりには必要であると思いますが。
 「前向き」で、「明るい」キャラクターの町民のリーダーはおられるのでしょうか?複数いればグループ化する必要があります。
 沢山町長は前回のお話のなかで地域ごとに地域評議会でしょうか。地域ごとに集会を開催して町民との対話を心がけるんだと言われています。それにも核となるリーダーの人が何人か必要であると思いますけれども。
 
沢山 今度の核廃棄物に対する運動の中で、たくさんのとくに女性の人達が、高齢者の皆さんもそうでしたが、活動を活発にされる人が、各地域に輩出してきた感じです。
 そういう人たちのエネルギーで東洋町から核廃棄物を追い払いました。そのエネルギーを東洋町の建てなおしのために使っていただく様なことをいろいろと提案して行きたいと思います。
 一番大きな問題になっていることは、東洋町に「道の駅」をつくろうと。今までは距離の関係でつくれない。といわれてきました。
 それは国土交通省の所長に話をしてつくれると。場所は地元にまかせると。
 
 現在白浜のあたりにこしらえようと計画しています。そこは県の施設ではありますが。了解はとれて行くと思います。その施設へ東洋町近辺の地場産品をどっさり持ってくる。水産物や農産物やらを炭から、木工品から米から全部ここへもってきて売りに出そうと。

 もちろん通信販売。インターネットを通じた販売も含めて大きな拠点(東洋町の交流拠点)になるだろうと。

 
 東洋町にはスーパーなんかも寂れてしまっている。町民は隣町の徳島県海陽町へ買い物に行っている有様です。そういう地元の人が購入するのも、近隣のひとたちや、通りすがりの人達が購入することにも対応するようにします。そうすれば農産物の生産活動、水産物の生産活動なども活発化していくと思います。

 このためにはかなりの組織を(町内外)につくらんといかん。日曜市とか、とれとれ市場とか、小さな単位のグループが分散してありました。道端でポンカンを販売したり。そいうものを全般的にまとまって「道の駅」(仮称)になって結集しようではないか。

 これが現在の最大の課題の一つです。1年か2年以内に実現させたいものです。

東洋町白浜海岸。広い駐車場があります。トイレやビーチハウス、シャワーもあります。
 
 夜須にあるヤ・シーパークかね。道の駅やすか。最初は小さかったよね。今はあんなに大きくなって、物産展というか観光地になっているよね。公園というか。たくさんの人達が来ていますしね。
 
西村 私も夜須へヨットで遊びに行って22年になります。今のヤ・シーパークのところは夜須海岸と呼ばれなんにもありませんでした。昔はサーフィンとヨットが共存できる珍しい海岸でした。

 ところが手結港マリンタウン計画の関係で、ヤ・シーパークが人工海岸として整備され、あれだけの面積の人口ビーチと臨海公園と駐車場ができました。
 道の駅やすにしても確か当時の夜須町役場とJAかみやすと町内有志が出資して株式会社ヤッシーが運営していると思います。高知県が海岸や公園を整備し、道の駅は国の補助もありこしらえました。

 
 ヤ・シーパーク自身がいまや人を集める力が年中あります。海水浴シーズン以外の休日には500台あるといわれる駐車場からはみ出している状態です。連休の時などはいれない状態でしたし。
集客に成功した夜須にある道の駅やす
 ヤ・シーパークの運営に関わられておられたのが夜須町の町長であった県議の清藤真司さんでした。同じ会派の南風には東洋町長選挙のとき応援に来て頂きましたふぁーまー土居県議は、RKCの番組や取材で高知県下のあらゆる道の駅や生産者直販所をご存知です。

 そこで2人の県議に東洋町の道の駅の構想をお話したところ快く「協力はしましょう」と言っていただきましたし。

左ふぁーまー土居県議。右清藤真司県議。「道の駅」問題で県議「南風」を訪問した沢山保太郎東洋町長
 
沢山 東洋町の白浜ビーチ。大きな駐車場があり。トイレもあります。一次産品を集めて販売しようと計画しても、そこの土地自体が利権グループが支配していて一切そういうことができませんでした。町民が要望しても今まではできなかったのです。

 その障害を取り払いましたので、交流拠点である道の駅を白浜海岸にこしらえることが可能になりました。国も県も大変協力的です。ばらばらに販売活動していた町民グループも協力的で、みな期待していますし。

 
 そういう町の土台の部分から再生していくことが大事ですね。
 
西村 5月4日には白浜海岸にて「白浜青空マーケット」が開催されました。かなりのひとたちが来場され大盛況と聞きました。知り合いも訪れ「大変よかっあよ」と言っていました。
 あの状態が常設状態になれば、白浜には集客力(ヤ・シーパーク同様に)はあると思いますね。
 
 組み合わせをしっかりやれば成功すると思うね。西田さんが言われたことがキーワードですね。大阪からこちらへ来られて自然と言うものが、お金に換えられないものがある。
 お金を単なる経済的な生産性とかそういった尺度で測るとかという観点とは異なる価値観はとても大事ですよ。
 
西田 生活していくうえでは経済的にはこちらでは大変です。ただ「身の丈にあってこそ」というのがあるではないですか。
 そのことを皆さん気付くべきではないかと思いますね。経済的には身の丈で良いと思います。
 大阪で月40万円の給与がありました。こちらへ来ますと月15万円です。差額の25万円は東洋町周辺の素晴らしい環境を買っているいるんですよ。そういう考え方もあるのです。ですのでお金だけがすべてではないのですね。

 いままではお金を持っている人が引っ張って来ました。お金だけではなくてそれよりも「もっと大事なものがある。」
 そうしたものに着目した世の中につくりたいと思いました。

 
西村 西田さんのその言葉いいですね。東洋町がモデルになれば良いですよ。今の尺度からは「見捨てられた小さな町」が本当の民主主義を実行している。それは注目すべき出来事です。
東洋町甲浦(かんのうら)地区。癒される風景です。写真はやっしーさん提供
 
 となると沢山町長が若い頃、500円を持って1日図書館にこもっていた。
 最近の若い人や子供は本を読みません・テレビやゲームでやたら時間を消費してしまう。浪費ですね。本を読むことで自分の考えがとても発達します。
 「本を読みましょう」というのも学校現場で実行すればいいですね。
毎朝5分でも10分でも読者の時間をつくるとか。子供も大人もまず出来る範囲でのことを実行する。書物から知識を得ることです。そういう経験がありませんと自然を評価する西田さんのような考えにもならないと思います。
 テレビを見ているだけではそうなはりません。
 
西田 僕は勉強も悪かって、母の教育でした。淀川の土手へ春になるとつくしを摘みにいく。そういうところがありました。後で植物観察が趣味になったのも母親の影響ですね。
 

 子供の虐待で死なすとか。赤ちゃんポストとか。母親の原点というか子供に対する愛情とか。含蓄のあるお話でしたね。
 
西田 僕は特にそうでした。母子家庭でしたので自分を育てる為に母親が、家で中華料理店をして苦労している姿を子供の時から見てきました。
 そういうところが基本にありました。
東洋町では「こけら寿司」が有名です。
甲浦は美しい風景画のようなまちです。