奄美と高知の同一性と相違について
 
今週のゲストは健康問題に詳しい柏原健さんです。柏原さんの営業用の車の車体にはかけろまとペイントされています。九州鹿児島県の奄美群島にあるかけろま島。その島の魅力はどんなところにあるのでしょうか?
観光化されていない自然の美しさ。特に海がきれいです。珊瑚礁もきれいです。それから島の人のやさしさと保守性。人が少ないから車も少ない。時の流れがゆったりしている。黒糖焼酎がすぐ手に入る」ことですね。
奄美は長寿者が多いことで有名です。現地を訪れ、そのあたりは感じられましたか?
  亜熱帯の気候などはどうでしたか?
「温暖な気候。きれいな空気。ストレス解消にはもってこいの自然環境。のんびりした街の雰囲気。長生きできそうです。晴れてれば4月から半袖OKですね」
奄美の食生活はどうでしたか?独特のものなのでしょうか?
  沖縄では昆布などが料理で使用されています。奄美はどうなのでしょうか?
「高知とあまり変わらないようです。かつお、伊勢えび、ちゃんばら貝。昆布にはお目にかかりませんでしたが、もしかして使っているかも」
現在の奄美のさとうきびの栽培状況はどうなのでしょうか?
  柏原さんの黒酢もさとうきびが原料でしょう。あと黒糖焼酎なども奄美は名物
  ですが・・・・・。
「すいません。サトウキビの栽培状況は不勉強でわかりません。それから僕が取り扱っているのは黒酢≠ナはなくてきび酢≠ナす。黒酢≠ヘ鹿児島県・福原町のものが有名ですが原材料は米です。サトウキビが原材料だからきび酢≠ナす。黒糖焼酎は奄美の特産品で、僕は焼酎党。特に黒糖焼酎が好きなので水割りを民宿のご主人と夜遅くまで飲みました」
高知から奄美のかけろま島へ行く方法はどう行くのでしょうか?
  高知ー鹿児島の飛行機便もなくなりましたし。宮崎へ飛んでいくのでしょうか?
  乗換えが多いと大変そうですね。
確かに大変です。奄美空港へは東京・名古屋・大阪・福岡・鹿児島から飛行機が飛んでいますので、まずは高知からそれらの空港へ飛んで、そこで乗り換えて奄美空港へ飛びます。奄美空港は大島の北にありますので、そこから車で国道(高知の国道32、33号線を思い出しました)を2時間ぐらい走ると古仁屋という町に着きます。そこからフェリーで30分ぐらいかけて加計呂麻島≠ノ渡ります。そこから車で目的地に行くことになります。
加計呂麻島≠ナはバスを利用することもできます。奄美大島と加計呂麻島≠つなぐ海上タクシーもあります。僕の場合は、取引先の関係で岡山まで車で行き、岡山空港から鹿児島空港、奄美空港と飛びました。岡山から加計呂麻島≠ワで、ざっと10時間の旅でした。
高知の奄美との交流はありましたか?今まではどうでしたのでしょうか?
  また紹介できるものがあるのでしょうか?
「奄美へ行って驚いたのは、高知と非常によく似た文化があるということです。まず、驚いたのはながれこ≠ニチャンバラ貝=Bもちろん現地での呼び名は違います。残念ながら地元での呼び名は忘れてしまいましたが、地元の人の案内で行った居酒屋で、いきなり出て来たものですから、ここは高知かと思いました。同じ物を食べていると仲間意識が出て来ます。ただ残念なのは、どちらの貝も、内臓に砂利がいっぱい詰まっているので、内臓を取り除いてしまっているのです。ためしにひとつ内臓を残したものを食べてみたのですが、口の中がじゃりじゃりして食べられたものではありませんでした。
もうひとつ、高知のはし拳≠ニ似た遊びがあります。道具と少しルールが違いますが、飲み会の席でやる遊びであること。一人対一人の3本勝負で横に審判が一人おり、先に2勝した方が勝ち。道具は、長さ5センチほど1センチ角の木片をそれぞれの手に3つずつ持ち、じゃんけんで先手後手を決め、先手は、先に出している後手の手の内に隠した木片の数を推測して自分も出し、両者の合計本数を当てるというもの。先手は1本から6本までと兄弟≠ニ言える。後手ももちろん同じように言える。それで合計本数が当たった方が勝ち。2敗すると、目の前の台に置かれた黒糖焼酎を一気に飲まなければならない。面白いのは兄弟である。兄弟というのは、相手と自分が同じ数を手の内に持っていると推測したときに言う言葉である。すばらしい知恵と思う。勝負しながら相手を兄弟、兄弟と呼ぶのであるから、初めて会った相手でも兄弟のように思えて来る。
 それから飲んだら飲んだで、飲めや歌えの大騒ぎである。気性も高知の人間と似通っているようである。黒潮文化と呼んだらいいのだろうか」

島の人たちの生き方、人生観などで、影響を受けたことはありますか?


  奄美大島を舞台にした島尾敏雄の小説を読んだことがあります。戦争中の奄美が舞台でした。指揮官が奄美の人たちと触れ合うことで、人生観が変化するというものでしたが。

 作家島尾敏雄は奄美に実際に居住し作家活動をしていました。彼の奥様はかけろま島の出身です。

「影響を受けるというよりも、僕自身が奄美の人たちと近いものがあるように感じました。食べる分だけ作って食べる。獲って食べる。お客さんが来たら、みんなが食べる分を獲って来る。競争するわけでもなく、自分達のペースでのんびり暮らしています。
 若い人は仕事がないので島から去って行く。残って農作業をしているのはお年寄り。どちらかというと、取り残された島かもしれません。しかし、このところきび酢≠フ良さが全国的に知られて来ました。ちょっとした地域起こしになるかもしれません」