はりまや橋商店街と木造アーケードについて
 今週のゲストは、はりまや橋商店街振興組合事務局長の福島哲明さんと、焼き菓子店「まみゆと」の谷ひろこさん、毎週金曜日に「はりまや橋七輪サロン」などを主体的に運営されている西岡燃料社長の西岡謙一さんです。今日のテーマは「はりまや橋商店街と木造アーケード」についてです。
 日本で初めてという木造アーケード。1998年(平成10年)3月の完成までには、構想から6年費やされていると伺いました。
福島 きっかけは、昭和62年(1987年)に、高知市のお手伝いで中種商店街近代化
の基本計画の立案がありました。それに入るまでは中小企業大学の商店街調査がありました。その企画中に安岡正博さんが「商店街の現状と今後の取り組み」ということで、講師で着て頂きました。お話を聞いているうちに当時高知市の商工労政課の公文康敏さんから「自費でアメリカへ行って下さい」とも強くお奨めがありました。それで、安岡さんがアメリカで苦労したことも踏まえて、一緒に連れて行っていただきました。
商店街有志の皆さんは何人行かれたのですか?
福島 9人行きました。
アメリカ研修旅行は商店街の有志の皆様に何をもたらしましたか?
福島 アメリカで廻ったところは西海岸です。ロサンゼルス、サンフランシスコ、サンジェイゴ、などです。有名なスーパーやシッピングセンターなどです。サンジェイゴではディズニーランドのような楽しいショッピングモールのホートンプラザ。ロサンゼルスでは、
ビバリーセンターや、ファッションアイランド、などを見学しました。
 前段の基本計画では「ルネッサンス中種」という表題で商業復興を目指していました。案を建てまして、良い商業集積地を造ろうと言うことにとらわれていました。それでアメリカへ行ったことによりそういうハングリーな精神が養われたと思いますね。そのうちに建築士会青年部のアイデアで木造アーケードの話が出てきました。
 その話しを聞いたときに「これはつかみだ。ゲットだ。」と思いました。すぐに商店街の皆さんも木造アーケード案に賛同いただきました。
そういういきさつで、当時(今も)日本で例のない木造アーケードに行きつかれたのですね。
福島 誰も出来ないことをやってみようということになります。
木造アーケードもアメリカ見学のなかで、思いつかれたのでしょうか?
世界的にも珍しいアーケードなのではないでしょうか?
旧中種商店街から、模様替(リニュアール)の象徴が木造アーケードのようですね。
当初は再開発ビルなどの構想もあったやに聞いていますが・・・・。
福島 最初は共同ビルの構想がありました。だけど話し合いのなかで、共同ビルよりも木造アーケードのほうになりました。共同ビルは話が煮詰まるうちに実現が難しいことになりました。
木造アーケード実現に話が傾いていった事情はよくわかりました。しかし日本発の木造アーケード。実現には大変であったと思います。消防や管轄の行政関係の説得など大変ではなかったのでしょうか?

福島 木にする条件面では防火の安全面が絶対条件でした。設計にあたったそう建築工房の平山昌信さんや西森啓史建築研究所の西森啓史さんたちが相当気遣いいただきました。また高知県庁の近澤さんがいろいろ案を出していただきました。その当時はりまや橋公園の地下に62トンの水槽がありました。それは池の水を循環させるためのものでした。その水を取り入れてスプリングラーの水源にするというアイデアを提案いただきました。そのおかげで、防火用の貯水タンクが不要になり約6000万円の経費節減になりました。
 ローコストになったこともあり、建築出来るようになりました。防火対策はスプリングラーとドレンチャーという水のカーテンをアーケードと商店街の間に設置することが、必要条件でした。
木造アーケードは、「はりまや橋に隣接する中心商店街」の顔と、木を使用されたことで「地域の産業にも配慮」された要素がありました。そのあたりはどうだったのでしょうか?
福島 もともと商工会議所の都市計画の報告書のなかに「観光地としての中種商店街」と最初からの計画に盛り込まれていました。それを私たちは見ていましたので、当時橋本知事が「木の文化県構想」を出されていましたし、それとも結びつきが出来ましたので、背景としては木造アーケード実現のためにはやりやすかったですね。
木造アーケードの「その後」の反響と評判はいかがですか?はりまや橋商店街以降に
「木造アーケード」は出来ましたか?
福島 視察がたくさん全国から来ましたね。制作したビデオも売れましたね。高知県民の「熱しやすく冷めやすい」気質が木造アーケードにも現れていますね。造ったときは熱かったのですが、最近は冷めた気分にややなっています。でも説明板などはお世話になった人達のためにもこしらえないといけないと思います。
現在木造アーケードについての説明はありません。せっかく6年もかかってこしらえ  たのですから、説明板などが必要であると思います。由来の説明も必要ですね。
福島 みなさんその苦労はわかっていない人が多いと思います。そのあたりの説明表示はしていきたいと考えています。