東京から見た高知 高知から見た東京
 今週のゲストは橘屋商事株式会社代表取締役の伊与田治彦さんです。今日のテーマは「東京から見た高知 高知から見た東京」です。伊与田さんは大学時代で4年、社会人時代で9年東京近辺で生活されていました。不二家に入社後関西におられたこともありました。
 高知へ戻られ、現在は先代が創業された会社の代表者です。立場が変われば、ものの見方も変化すると思われますが・・・・。
東京は国際都市で、日本でありながら日本ではないように思います。とくに最近は六本木ヒルズや汐留やお台場の再開発、丸ビルなど変貌を感じます。高知に居ては理解できないことも多いようなのですが?
 高知へ帰ってきて10年以上がたっているので、東京から高知という視点はでは、なかなかしゃべることが出来ません。最近地下鉄大江戸線が出来たり、大規模な開発がずっとつづいています。実際に東京へ行くとこれだけの施設をどんどんつくれるのは、それだけの流入人口があるからで、なんの商売をやるにしても本格的にやるばあいは、市場があるから。東京はやりやすいと思います。
 現在会社の仕入先は、関西の方が量的には多いです。商品センスが必要なものについては、東京の仕入先の方が圧倒的に良い商品があると思います。
東京からみますと四国は遠く、関心のない世界ではないでしょうか?六本木、新宿、渋谷は身近でありました。情報も溢れていましたね。一方東京の人達は地方都市には関心がないと思います。高知のことなど誰も知りませんし、知る方法もありません。
ハワイやソウル、香港のほうが四国より身近ではないでしょうか?
ハワイは身近です。東京にいますと
沖縄県石垣市竹富島も身近な存在
 私が関東にいたころには高知の情報・話題はほぼゼロ。NHKが四万十川をテーマにしてテレビ番組をして、四万十川が有名になったくらい。高知と言いますか、四国全体として、観光としての魅力は0に近いような気がします。関東は近場では伊豆、信州。足を伸ばすなら、国内では北海道、九州へ行くでしょうね。海外へは一番出掛けやすい地域ですからね東京は。
家内の弟夫婦も東京に住んでいますが、「高知は遠い」という事で、夫婦で一度も高知へ来た事がありません。ハワイは何回も行っているらしいのですが・・・。
 高知から見ますと東京は巨大で掴みようがありません。「高知屋」にしても成功しているとは思いません。何が間違っていると思われますか?
 実態を知らないので、言えないですが、高知屋の立地が吉祥寺、自由が丘のどういうところかはよくしらないけれど、ある程度立地のよいところで売れるのは、あたりまえなんで。商品の良さで売れているのか、ものめずらしさで売れているのか。アンテナショップの意味合いがわからない。商品の改良とかインターネット通販の試みにつながっているのか。置かせて売ってもらっているだけだと、売れてもちょっとフィードバックできないんじゃないかな、と思います。
伊与田さんなら高知の売込みを東京でするとすれば、どういう方法と手段でされます  か?お構いない範囲でご披露してください。
最近高知空港は、高知龍馬空港という愛称なりました。私それ自体は、反対なんです。、そこまでしないといかんくらい、「高知は知名度ない」ということなんだろうと思います。 わたしは基本的には橋本知事支持派ですが、橋本知事がやめてしまった「国民休暇県構想」というのがありました。あれは東京から帰ってきたわたしには新鮮な発想でした。「なんにもないけど休めるよ」「癒しになりますよ」という発想、現実に高知県がそんな場所かどうかは別にして、発想としてはおもしろかった。逆転の発想ですが、その辺を売り込んでいけばいいかなと思うんですが。
高知の悪い点、弱点は率直に言って何だと思われますか?経営者が勉強しないことでしょうか?プレゼンテーションの力も弱いように思われますが・・・
 わたし自信が一番勉強不足、体験不足だと思っているので、自分自信のこととして言うんですが…
 高知の伝統は「反権力」かなと思うんですが、現状では衆議院議員の顔ぶれをみたらわかるように保守的。結局、現状維持派が多い。企業でも他県に少しずつ食いつぶされているのに、気づいて対策がとれてない、冒険しない、というところ、これが最大の弱点だと思います。
個人的な話で恐縮ですが、私も伊与田さん同様に東京方面の大学で4年間、卒業後は関西のペイントメーカー本社に半年、すぐ転勤で東京支社勤務。営業に出され関東一円をセールスで巡回していました。遊びも仕事も東京時代で覚え大人になりました。それで高知へ戻ってきたときになじめず、3年ぐらい病気になっていました。
 伊与田の場合はかれこれ13年も大都市部におられたので、そのあたりはいかがでしょうか?上手く適合されましたか?
伊与田治彦さんの大学生時代のスナップ。
そういう具合に言われていますと気がつきますね。高知なりのやりかた。それがどうも違いますね。私なら相手の人に会う場合、電話でアポ(予約)をします。商談を効率よく進めようとします。それで行けるのかと思っていたら、「それは取っ付きが悪い」と言われました。商売の基本かも知れませんが、高知では会わないと話が進みません。会っても話が進まないというか、それ以外の繋がりをつくる。商売以外の繋がりをつくらないと仕事もスムーズにいかないところは感じましたね。それはどんな商売でも、どの地域でもあるのでしょうが、東京時代とは随分違いますね。
大手企業では、「事業計画書」など、若造の若手社員が作成し、プランニングをして、プレゼンテーションをして提案しますね。それが当たり前ですから、企画書をこしらえるのが日常ですね。高知ではまずそんなこと商売のうえではありませんね。そのあたりは伊与田さんの場合は物足りなさがあったと思われますが・・・。それと高知的な「おんしが、おらがの世界」(お前と俺との世界)が排他的な寄り合い、ギルドになっているのではないかと思いますね。他の異質なものを排除する傾向がありますね。同質の仲間同士の付き合いに終始していますね。情報が入ってこない危うさがありますからね。
確かに業界の人達の集まりが、あります。そのなかで活動していくことは、それなりのメリットもあるでしょう。しかし若い人、新しい発想を持っている人は入りにくいですね。入りにくいから勝手にやる。入ったとしてもなかなか自由に活動できない。だから県外に出て行きたいと思うようです。そういう傾向がありますね。従来からいる人達もそういう人を、グループに入れたいと思われていますが、今までの流れの中では上手く行かない事例が多いですね。業界全体の発展のためにはどういかなと思われますね。
若い人を育てる土壌がないですね。行政の開催する委員会や審議会の顔ぶれも変わらないですね。これは大きな問題ですね。
高知は狭い社会ですからメンバーが重なるのはしようがないです。しかし私のように県外から戻ってきたものにとっては「違和感」がありますね。入りにくいですね。

 組織になじめないと大変ですね。「転校生」の気分ですね。転校生は学校の友達になじむのに精力を使い果たしますからね。私も父の仕事の関係で小学校時代5回も転向しましたので。それが今でも高知になじめない原因かもしれません。保守性をなんとかすれば、高知も何とか成ると思いますが。
 それが高知の良い面もあります。東京に長くいたせいですが、土佐弁を喋れなくなったのですね。そのままで仕事をしますとなにか上手くいかない。だんだん土佐弁を思い出してきました。そういうことで、枠のなかへ入りやすくなりましたね。ちょっとした言葉遣いで。さきほど転校生は仲間にはいりづらい状態が、わたしも続いていた時期がありました。ちょっと言葉を変えるだけで入りやすくなりました。高知はそういうところが面白いですね。