高知の可能性を今一度考える

 今週のゲストは国友林業代表者の国友昭香さんです。国友さんは土木建設業や他の事業も手広く展開されています。数年前から有機栽培の日本茶の栽培にも取り組まれています。
 今日のテーマは「高知の可能性を今一度考える」でお話を伺います。国友さんは「高知県科学・技術アカデミー」の委員をされています。各産業界の人たちが委員になられていますが国友さんは山林業の代表で発言されています。
とてつもなくスケールの大きな委員会のように思えます。どのようなメンバーの方々が参加されているのでしょうか?どのような議論がされているのでしょうか?


 まず私は、有識者として委員をと言われました。山の中の現実しか知らない私ですので、お断りをしていました。でも周りの賢い先生がたくさんいるなかで、現実の声を伝えるのが私の役割であると言ってくださる方もいました。それで腹をくくって出席しています。


 とてつもなくレベルの高い人達ばかりです。筆頭は「馬鹿の壁」を書かれた養老孟司(ようろう たけし)先生です。先生は高知の山の中を昆虫の研究などでうろうろされています。ですので高知県の中山間の問題、限界集落の問題などもひじょうに良く理解なさっていましてびっくりしました。
 高知の工業関係からでは、ニッポン高度紙工業の関裕司先生とか、高知工科大学の先生など本当にレべルが高くて、ようようついて行っている状態です。

国友昭香さん

 養老孟司さんなどが高知の中山間部の現状を的確に掴まれているには驚きました。
 高知県庁の人たちよりは詳しく知っていると思いますね。山の現状を知ると言っても国道筋しか回らない人もいます。実際に人が住んでいるところは道路からはずっと山の上なのに。養老先生はそういう場所へも出掛けられています。だからよく現実をご存知なのです。
 委員会の様子は想像できません。「前向き」で「面白い」話はありましたでしょうか?国友さんが得られたものはありましたでしょうか?
 矛盾点でもあり大変難しいことです。高知県の場合は他県と比べて産業が育ちません。その部分で科学と技術を総合して何か育たんかという会合です。他県から来られた学者の先生、養老先生などは、「まず高知のあるものを大事にしなさい。」と言うことで、自然を大事にしてそういうものから掘り起こしをしなさい。というご提案をいただいています。
 なかなかスケールが壮大です。なかなか1本にまとまるという方向ではないのではないでしょうか。わたしなどは「科学と技術の違い」「公の位置づけ」など難しい議論をされていまして、とても私の頭ではついていけません。
 矛盾点でもあり大変難しいことです。高知県の場合は他県と比べて産業が育ちません。その部分で科学と技術を総合して何か育たんかという会合です。他県から来られた学者の先生、養老先生などは、「まず高知のあるものを大事にしなさい。」と言うことで、自然を大事にしてそういうものから掘り起こしをしなさい。というご提案をいただいています。
 なかなかスケールが壮大です。なかなか1本にまとまるという方向ではないのではないでしょうか。わたしなどは「科学と技術の違い」「公の位置づけ」など難しい議論をされていまして、とても私の頭ではついていけません。
収録の様子です。国友昭香さんは、豊富な建研をもとにわかりやすく話をされました。またその行動力には驚きました。
 高知県と言うものは他所からも注目されていますのは明治維新の時代に、国家を動かすような人材を多く輩出しました。今の時代に高知から何かという発想があるわけです。私がいろんな先生のお話を聞いて感じたことは、幕末もそうでしたが、「時代の恩恵を受けていない人々が、一番時代をよくわかる立場にある。のではないかとこの会で一番感じました。
 高知県科学・技術アカデミーには、国の官僚や、大学教授などの参加もあるようです。
なにか国友さんにとって「ためになる」話はありましたでしょうか?お構いない範囲でお願いします。
 知識としてこれからの地球環境がどうなるとか。高度のレベルの話を聞きますので勉強になりました。いかに小さい閉塞感のある考え方をしているのかなと思いました。反省させられるばかりです。
 高知県はひじょうに注目されています。高知県のためにというあたたかい想いでご意見を言わられることは県民として感謝の気持ちが一杯です。
 坂本龍馬の影響かもしれませんが、高知は凄いことをしやしないか。期待を持って観ておられる部分もあるのかなと思います。凄く嬉しい部分もありました。地方からいろんなことを起こす事ができれば閉塞感が破れると思います。夢が持てる部分と、現実を突きつけられてひじょうに悲しい部分と両方を感じました。

 高知県科学・技術アカデミーにつきましてはホームページもあり公開されています。国友さんの発言も読みました。 国友さんは「ラテン系というか。そのラテン系に感じておることは、ラテン系の県民性を、ゲルマンのような雰囲気で、何かをしようというような空気を感じます。私自身嫌なものを日々感じて生活しております。」と言われています。
 高知県庁の政策は「うわすべり」なのでしょうか?

(写真は高知県庁)

高知県庁本庁舎

 上滑りと言うより、管理を強化する方向、管理こそすべてという雰囲気を感じています。枠の狭さのようなものを感じます。縮こまるような感性を感じます。高知の人間は上下関係を意識しません。高知ほど貧乏を恥と想わない県民性は(他県に住んでいまして観察していまたら)他にはないように思います。わりとおおらかに議論を吹きかけたり、ずばずば言うのが県民性です。
 それが、私のようなものしか、周りも見ましてもあまり発言しません。県の施策だけではないと思いますが、重苦しいものを感じます。会社でも組織でも「管理部門」が強いと発展があるかと言いますとそれはないと思います。現場が生き生きするこそが、いろんなことが前向きに行くと言うことです。
 今の高知県庁はますます管理を強化しようという傾向がますます見えます。 
ラテン系の高知県民の可能性はどのようなところにあるのでしょうか?
 ラテン系といいますとイタリア人のような雰囲気を思い浮かばれますね。高知県民の良いところは「物事を苦にしない」ところです。ですので「逆境に強い」と言いますか、「いごっそう」とか「協調性が無い」ことも指摘されています。
 お金のないことや、貧乏であることを気にしません。「暮らす意識」がひじょうに薄くて、みんな平等のようにあります。これからの非常に行き詰った時代に、明るい気分で常に居られるというのは非常にいいかなと思います。
 ラテン系といいますとイタリア人のような雰囲気を思い浮かばれますね。高知県民の良いところは「物事を苦にしない」ところです。ですので「逆境に強い」と言いますか、「いごっそう」とか「協調性が無い」ことも指摘されています。
 お金のないことや、貧乏であることを気にしません。「暮らす意識」がひじょうに薄くて、みんな平等のようにあります。これからの非常に行き詰った時代に、明るい気分で常に居られるというのは非常にいいかなと思います。
 イタリアの風景。写真は宮地貴嗣さんに提供いただきました。
7月番組に戻ります