伝える言葉の大切さについて
 今週のゲストは、保育士の松尾美絵さんです。平和について2日間お話いただきました。今日のテーマは少し趣向を変えまして、「伝える言葉の大切さについて」でお話を伺います。
 同じ日本語でも、職種や立場が異なれば、正確に相手に伝わらない場合があります。また松尾さんは最近パソコンにも挑戦されています。そのあたりのお話を伺います。
 最近パソコンを始められたと伺いましたが、その目的は何でしょうか?またどのような活用法を考えられていますか?
 インターネットを活用して、より多くの情報を得たいと言うのが一番の動機です。商業新聞以外にも私は、ミニ雑誌とか、ミニ新聞をいくつか見ています。しかしこれには、時間の遅れ、経費の限界を感じています。何より情報量の少なさがあります。
 そんなことをカバーする上で、インターネットは便利なものであると思います。
 

 スタジ収録の様子。松尾絵美さんは、自分の言葉ではきはきと発言されていました。

 やや長めの発言でしたが、時間の制約でカットするのが忍びない内容でした。

 私の若い頃ですが、謄写版(ガリ版)での情報発信が手軽でありました。それが時代が下り15年ぐらい前からポータブルワープロが登場して来ました。手軽に打ったとたんに活字文字になるのが感動でした。
 それから親しむまでにはかなりの時間がかりました。松尾さんの場合はそれはどうだったのでしょうか?

 そうですね。ガリ版と言う言葉は懐かしい言葉ですね。私も若い頃は、学生の頃は新聞などをこしらえました。ガリ版ではないですが、若い頃は写真植字機のオペレーターもしていましたので、文字に向かうのは抵抗がないほうです。
 機械操作には不安だらけですが、文字に向かうことは昔を思い出して楽しくしています。インターネットの操作など今から挑戦しようと思っています。
 パソコンに向かうことは、不安があるにしても、必要に迫られればなんとかやっていけるのではないでしょうか。また教え方の上手な人に出会われるのも一つの鍵ではないでしょうか。

 パソコン操作に関しては「教え方」が問題です。教えるシステムが確立していないことが一番の問題であると思います。

 トライしてみたい人と、教える側の「ミスマッチ」が多いということです。

 観点が変えた質問です。子供たちが言葉を覚え上手く伝達できるようになるには何が必要なのでしょうか?親や地域との関係がとても大事であると思います。(狼に育てられた子供は人間になることが出来ませんでした。)
 専門家の立場で、松尾さんはどう思われますか?
 言葉がただ覚えるのであれば、それは記号にすぎないと思います。子供たちが言葉を覚える以前にとっても大切に思っていることがあります。それは一般的には、父親や母親が主になることですが、周りの大人たちとの気持ちのやりとりがとても大切です。
 一緒に共感したり、一緒に感動したり、豊かな気持ちと人への信頼感が育っていることが、根底には必要であると思っています。
 ある
 なるほど言葉を覚える以前の環境がとても大切であると言う事なのですね。
 言葉を発しない0歳の赤ちゃんでも目と目を合わせて、うれしいね。美味しいね。などと言葉をかけるとちゃんとそれに応じた表情や目の動き、身体の動きが返って来ます。
 赤ちゃんが最初に発する言葉は、多くは、”マンマ””おとうさん””おかあさん””パパ、ママ”などです。
 これらの一言で「マンマ食べたいよ」とか「お母さん来て」とか、「おとうさんだっこして」など自分の気持ちを表現しています。大人がその気持ちに応じてあげることや、発した言葉を喜んだりするなかで、子供は大人の喜びを自分のなかへ取り入れて行きます。
 そして又新たな感動と言葉のやり取りの積み重ねて行くことが出来、スムーズなコミュニケーションが成り立って行きます。親や子供の人間関係こそが、言葉を育て人間を育てていくものです。
 自己表現力についてお伺いします。日本人は大勢の人の前でスピーチをする訓練を受けていません。そういう機会が学校時代からなかったからだと思います。自分の思いを相手に正確にい伝えることは大切です。それについて松尾さんはどう思われますか?
 

こちらの質問項目に対し、松尾美絵さんが自筆で書かれた解答集です。びっしりと方眼紙に書かれてありました。

 書けることは「自己表現力」がある証拠です。

 そうですね。日本では確かに人前でお話をする機会は少ないと思いますね。私が思うことですが、自分が属している集団のなか。集団全体に同調していくことが良い子供であり、大人になれば属する会社に、人並みに足並み揃えるのが良い大人という風に言われています。「暗黙のメッセージ」を常に受けているように思えます。だから人前で自分の意見をはっきり言うことを差し控えることが多いようです。
 でも心置きなく話が出来る仲間内では、結構本音で喋っています。本音と建前を使い分ける。そのすべてが悪いわけではありません。私は思うのですが、人との確かな信頼関係をつくる上にも、価値観の違いや、あるいは同じところを明確にすることがとても大切であると思っています。
 違いに拘るのではなく、違いを知ることは、相手を理解することだと考えて、自分を表現していくように努力する必要は思あると思います。
 スピーチやプレゼンテーションの技術もありますので、機会があれば、たとえ短い言葉でありましても自分を前に出して表現していくことにしています。そうすれば少しでも前進すると思います。これは私自身に対しても言っていることなのですが。

中国語研究サークルの懇親会。

(写真は松尾美絵さん提供)

 松尾さんは平和運動を無理のないところで提案されています。ご自身が言葉を伝える場合、特に注意されているところはありますか?電話、手紙、討論等場面場面があると思います。
 周りの人達に伝達する工夫がなければ、自分の意図が伝わらないと思います。そのあたりはどうされていますか?
 実は私は人と話すことが苦手なのです。場面に応じた言葉がとっさにでてきません。後になって「ああ言えば良かった。こう言えばよかった。」と思うことがたくさんありました。
 結局黙ってしまったり、人を避けてしまったりすることもありました。会話になった時にいつも頭に置いていることは、自分の言葉を受け取っていただく相手の立場はどうなのか。大事なことは自分の思いが相手に伝わることです。

 相手の人を不愉快な気持ちにすることは、歪んでとられることになりかねません。出来るだけ気持ちよく会話が出来るように。

 相手の気持ちを常にアンテナを張って察知しようとしています。討論などでは自分の意見をはっきり言ってもいいわけです。

 話の上手、下手はさておいて、話したら良いと思います。
 わたしは人との会話が上手くないものですから、どうしても話さなければならないときは、一度文章にしておいて、話す工夫をしていますね。

自筆の原稿を手元に発言されている松尾美絵さん