英語のある人生とは?
 
 今週のゲストは高知大学大学院生(英語教育専修修士課程)の野村美穂さんです。今日のテーマは「英語のある人生とは?」でお話をお聞きします。
 野村さんは7歳からイギリス人が運営する英語教室に通われていました。中学、高校でも英語学習に学校の授業以外でも取り組んでこられたようにお聞きしました。 具体的にはどのような独自の勉強をされたのでしょうか?
高校時代は英語で遊ぶ日々のようにもお聞きしまたけれども。部活でESSなどにも所属されておられたのでしょうか?

 小学校の頃は、とにかく英語教室で先生と教室の仲間で遊んだ記憶があります。ハンバーガーショップごっこや、工作、塗り絵など子どもが好む遊びのなかで自然に英語を身につけていきました。
高校生の頃は、文科系の部活は海外研究部に所属していました。ただの「英語おたく」としかいえないくらい、イギリスという国と英語にずっぽり浸っていました。


 部屋中を覚えたい英単語やフレーズを色画用紙に書いて埋め尽くしたり、土曜日の深夜3時まで起きてイギリスやアメリカから入ってくるエフエムを録音して部屋にいる間きいたり。
また、毎朝の楽しみは教育テレビの英語番組でした。休日には父親に作ってもらったテラスに椅子とテーブルを出して、英語の雑誌や本を片手に紅茶を飲みました。


 そのとき読んだ本も自分の能力に無理がない程度で、楽しいと思える内容のものでした。結局はそうやって英語が自然に私の遊びの中の一部として生活のなかに入っていました。
 学校のテスト前や授業で机に向かってもちろん勉強もしましたが、英語と楽しく遊んだイメージのほうが強いです。

野村美穂さん
 野村さんはペンフレンドなども中学・高校時代におられたようですが、何人ぐらいとどちらの国の人たちと交流されていたのでしょうか?
 ペンフレンドは、さまざまな国の友達がいました。
郵便局のペンフレンドを作る企画でペンフレンドになった友達もいましたが、ほとんどはイギリスに留学していた頃のお友達と文通していました。
人数は、今覚えている限りでは30人以上はいました。
イギリスを始め、フランス、スペイン、ドイツ、インド、ポーランド、ユーゴスラビア、アメリカ、イタリアなどなど。たくさんの国のペンフレンドがいました。
とにかく私は毎日学校から帰ってきて家のメールボックスを見ることが一番の楽しみでした。
 ほとんどといっていいくらい毎日郵便受けに誰かからの手紙が来ていました。
ペンフレンドの中で一番印象に残っている友達が、アメリカ人の友達でした。
お互いが自分の国のものを紹介しようと、何かプレゼントを贈りあうことにしました。
 私が受け取ったものは、カラフルなゼリービーンズというお菓子でした。アメリカのゼリービーンズは、あまりにも大胆で濃厚な色使いで、着色が絵の具の原色のようにはっきりしており、日本のゼリービーンズの着色とは大幅に違ったもので、驚いたことを覚えています。
 わたしの方からは桜の絵のついたきゅうすと煎茶を送りました。確か持ち手のついた茶漉しも送りましたが、使い方の説明をつけていませんでしたので、ちゃんと使用されておられるのか今でも心配です。
 野村さんは英語に興味を持たれたのは、家庭環境もあるのでしょうか?テレビや、ラジオ、音楽などの外部の影響もありましたか?またどのような方法で英語をどんどん履修されていったのでしょうか?
 家庭環境は大きいと思います。
はっきり今でも覚えていますが、私が幼い頃母親はニュースをよく見る人でした。 そして海外からのニュースが入ってきた時に、私は、はじめてそこで自分とは違う容姿で、自分が理解できない言葉を話す人たちがいるという存在を知りました。
そしてその人たちの真似をして舌を巻きながら意味が分からない言葉をしゃべったりして、一人で遊んでいました。
 それが、たしか4歳ごろだったかと思います。
そんな様子を見ていた両親は、「私が英語に興味を持っているのではないかと」、感じたらしく、私を英語教室に通わせることになりました。その頃、約20年前になりますがですが、場所によれば子ども英語教室というものは存在したかもしれませんが、私の住んでいる地域ではとても珍しいものでした。
教室に通い始めてから、しばらくすると父親が画家ということもあり、海外に絵を描きに行くという機会がありました。そんな父親の海外での生活話などを聞くことにより、身近に海外を感じることが出来ました。
 また、そういう影響もあってか、私の中で英語というものがどんどん自分の日常の一部になり始めました。
父親の話してくれる、旅先での人との交流話を聞けば聞くほど、海外に行ったとき英語で自分が言いたいことや、表現したいことをできる限りうまく伝えることができたらいいな、という気持ちが大きくなりだしました
 そういった意味でも、私の英語に対するモーティベーションをあげた、好奇心を強めた家庭環境や両親の影響は大きかったと思います。
 野村美穂さんは英国へ留学後も英国生活に関する本などをよく読んでおられます。
 7歳から英語塾へ行かれたとのことですが、当然当時は学校では英語の授業はなかったと思います。何が興味があって継続されたのでしょうか?当時ご家族は協力されたのでしょうか?もう少し詳しくお話下さい。
 英語の絵本に興味を抱いたような気がします。
私が、持っていたイギリスやアメリカの絵本に描かれた絵は、とてもカラフルで優しい色使いのものでした。
 そして、英語と一緒に描かれたその絵は、私の気持ちをきゅんとさせ、またときには癒してくれました。例えば、ピンクの大きなキャンディーの絵や、果てしなく広がるカラフルなお花畑の絵など。多くの色を使っているわりには、色自体にいやみがなく、視覚的にも気持ちが弾むものでした。
 また、アメリカやイギリスの絵本の面白いところは絵本の内容に、ジョークが入っていて、結構笑える内容だというところです。例えば、すこし下品かなと思える発言を大胆に書いています。私だけかもしれませんが、子供の頃は言ってはいけない!してはいけない!といわれる言葉ほど言いたくなったりやってみたくなったり、するような気がします。そういった内容が私のツボにはいってしまい、何回も何回も読み返したことを覚えています。
また、それと同時に父親の描く絵も、私の中で英語に興味を持たしたもののひとつだと思います。実家には父親の絵を制作するアトリエがあるのですが、そこには沢山絵画が掛けられています。
 当時かかっていた絵は、父親がちょうど海外のスケッチ旅行から帰ってきたということもあってヨーロッパの教会の絵が飾ってありました。
 その色使いが、桜色のピンク、シャガールのようなブルーなどと、優しく癒される色使いで、私にとってはどことなくメルヘンチックに感じ、大きな絵本を見ているようでした。
とても色使いが豊かな絵本や、父親の描いた風景を見ているうちに、私の中で勝手にイギリスやアメリカという国は、心がわくわくしたり、癒されたりする世界が広がっているのかも知れないというイメージを持ち始めました。
 そしてその目の前にひろがるカラフルな世界を、自分の体全身で感じてみたいというあこがれが、さらに英語学習に興味を持たせる気持ちに拍車を掛けたような気がします。
 観点を変えた質問です。わたしの知り合いに商船大学を卒業し船乗りをしていた人がいます。世界各地を船旅をしていたそうです。彼が言うには「現地の言葉を30くらい丸暗記をします。そのなかに。あなたが好きだ。君は可愛いね。」という言葉も10くらい入っているそうです。
 それで物怖じせず現地の人たちとコミュニケーションをするそうです。そういうやりかたは英語を習得するときも有効なやりかたなのでしょうか?
 そうですね。わたしのあくまで考え方ですが、留学したときなども、子どもでしたら言えない言葉でも、大人でありましたら、相手を口説く言葉など積極的に覚えられることもあります。
  わたしの友人も一緒に留学していた日本人ですが、日常表現で、面白い表現とか、日本に持ち帰ればねたになりそうな表現の方を覚えてノートに書いてまで学習していました。
 

 文学者ワード・ワースの本。自分の語学力に合わせて原文を読んでいけば、英語に対する興味が増すようになる。と野村美穂さんは言われます。