坂本龍馬への思いについて
今週のゲストは前高知市長の松尾徹人さんです。今日のテーマは「坂本龍馬への思いについて」です。松尾さんは、山口県の出身ですが、坂本龍馬に心酔し、「龍馬市長」と名乗られてました。
 高知市上町に[龍馬の生まれた町記念館]の建設にも尽力されました。
坂本龍馬は32歳で生涯を終えました。著作を残しているわけでもなく、何が魅力なのでしょうか?
竜馬は短い32歳という生涯でした。脱藩が28歳のときでしたが、その後5年間で全国各地を駆け回って大変な仕事をしています。短い間にあれだけの活躍をしたことがわたしは感動いたしました。確かに著作はありませんけれども、138通の手紙が残っています。その手紙には克明に自分がどういう考え方で、日本はどうなっているか。また自分はどういう活躍をしているか。いろんなことが書かれていまして歴史的な価値も高いと思います。竜馬は意図して手紙をたくさん書いたのではないかと思います。
それから薩長同盟、大政奉還、船中八策など明治維新の立役者として大活躍をしました。それができるのは私はやっぱり龍馬しかなかったと思います。それは竜馬は「出会いの達人」「筆まめの達人」「人と人とを繋ぐ天才」と言われています。竜馬の人間愛、先見性、経営能力、行動力、改革の情熱、そのすべてが今の日本人にかけている。それが欲しいと思います。西郷隆盛も龍馬のことを称して、「度量の大なるやいまだかつてこれを見ず」と言わしめています。それだけ大きな度量の人物だったのです。
 土佐人としてこれだけの人物を生んだということをキャラクターを含め、こころから心酔している人物の一人なのです。
ご出身の山口は吉田松陰や高杉晋作、桂小五郎など同時期に活躍された人物を輩出しています。その長州を上回る坂本龍馬の魅力は何なのでしょうか?
そうですね。長州だけではなしえなかったことを、西郷さんの薩摩を結びつけて維新の偉業をなしとげたのが坂本龍馬です。長州以上の人物です。吉田松陰、晋作、桂小五郎、などは立派な人物ですがキャラクターで欠点もあります。しかし坂本龍馬を悪く言う人はいません。
 

松尾さんは昨年の「龍馬脱藩の道ウォーク」に、箕の笠に、草鞋という脱藩スタイルで参加者とともに歩かれました。

スタイルまでこだわる理由はどこにあるのでしょう?

コスプレ効果もそうですが、私自身が龍馬になりきりることですね。龍馬の格好をしていますと気持ちも良かったし、気持ちも良かったですね。
仮想現実のお話です。現在の高知県に坂本龍馬がいたとすれば、かれはどういう行動を起したと考えられますか?地元で活動する余地はあるのでしょうか?
桂浜の竜馬像を3年目にしました。その時初めて竜馬像を台座から降ろしました。龍馬が走り回る姿を想像いたしました。龍馬が手紙のなかで「日本を洗濯致し申し上げ候」と書いてありました。おそらく現在の混乱を見て、日本的な活躍をしていたでしょう。もし龍馬がいましても高知のためだけではなく、日本の世界のために活躍したのではないかと思います。彼は政治家ではないと思います。経済人だと思います。亀山社中の活動は彼の人生で一番楽しく生き生きとしていたと思います。その意味では経済的な意味で活躍したと思います。
高知空港が高知龍馬空港に名称変更になりました。その影響はあると思われますか?
今の段階は残念ながら、東京でも高知空港が、高知龍馬空港に名称が変更していることは知られていません。この効果はこれからです。県内で名称変更の議論はありました。県外で知られることが大事です。ただ名前を変えるだけではなくて、龍馬の雰囲気を空港にも出さなければなりませんし、県内のいろんなところ、高知市内もそうですが、全体を「龍馬チック」にすることが大事であると私は思います。たとえば龍馬像のレプリカを並べるとか、あるいはパネル展示も必要だと思います。
 私の気持ちは合併を契機に高知市も、「龍馬市」に変えるべきだと思っていました。それだけインパクトの強い活用のしかたはあると思います。決してそのことを龍馬さんは嫌わないと思います。
高知竜馬空港を記念してカリノ美工さんから発売されました「坂本龍馬先生の短銃」
全国的にも龍馬ファンはたくさんいるのでしょうか?
朝日新聞が2000年にミレニアム調査をしました。「過去1000年間の日本の政治リーダーで誰が好きですか?」という質問をしたところ、1位は坂本龍馬、2位は徳川家康、3位は織田信長でした。天下を取った人達をしのいで龍馬はトップだったのですね。そのことを私たちは認識し、誇りに思うべきだと思います。
龍馬の生まれたまち記念館。2004年3月21日に開館されます。