神戸と山古志からの教訓とは?
 
 今週のゲストは、NPO法人我が家を見直す会事務局長の西田政雄さんです。西田さんは建築関係に詳しく、シックハウス症候群の研究や対策、家屋の防災対策にも高い関心を持たれています。4月から高知シティFMにて「ハッシーと西やんのラジオでつなぐ防災フォーラム」(毎週金曜日6時〜25分)の予定で始まります。
 今日のテーマは「神戸と山古志からの教訓とは?」でお話をお聞きします。昨年3月には「震災からの復興 今 そしてこれから」を主催され、神戸市と山古志村からも罹災体験された人がパネラーとして参加されました。番組出演者交流会にもご参加いただきました。
 1995年の阪神大震災。都市型震災の典型でした。西田さんは詳細に罹災地の復興の様子や、地元の市民団体との交流もあります。神戸から引き出される教訓は数あるでしょうが、高知市にひきつけた場合はどうでしょうか?
 まず神戸の方は都市型災害の典型でした。多くが、建物の問題です。
高知の中心地にも、老朽化したコンクリート中層の建物が数多く有ります。それが地震がおきた場合、かなりの被害がでるのではないでしょうか。
 また、旧市街と言える住宅街にも、戦後から高度成長期に建てられた木造住宅は数多いです。多くは独居高齢の方々がお住まいです。
 都市型災害は、「建物に人が殺された。」と言う事を思い出して下さい。神戸の教訓もそうです。建物に潰された。建物で逃げ遅れました。そういう事例がひじょうに多かったです。
西田政雄さん
 今日話題になっています「耐震偽装問題」があります。それなんかは神戸では建物が問題になるような物件が多くあったのでしょうか?
 神戸の地震の時は「耐震偽装」ではなく、古い建築基準で建てられた建物です。現在の耐震基準で行きましたら、「姉歯物件」のような建物が、古い基準では認められていました。そういう建物が倒壊し、人々が下敷きになりました。木造住宅もそうです。
1995年阪神・淡路大震災では多数の建物が倒壊し、多くの人命が失われました。
 また西田さんは新潟県山古志村(現長岡市)の罹災した地域にも入村され、被害状況を詳細に把握されています。山古志の教訓を高知に持ち帰るとすればどういうところでしょうか?
 孤立するであろう中山間の地域、その時 地域の指導者がどの様に対応するのか。
山古志では、せまいコミュニティーでの情報の共有が、人的被害を最小限に食い止めました。
 高知では中山間地域の問題ですね。地形が若干異なります。山古志に入りまして感じましたのは、四国で言えば讃岐(香川県)のような地形でした。砂があったりとか、粘土層であったりとか。山が「すぱっと切られた」印象です。
 高知の場合もそれに近い状況が起こるでしょう。山が「重くなって」います。木がはえまして、表面は荒れています。滑落なんかの恐れもあります。山古志の教訓と言えば、あの状態(孤立する)に近い中山間部の町村が多くなるいのではないでしょうか。そのときにその地域のリーダーがどのような決断をするのか。それを山古志から学ぶことではないかと思います。
中山間部では道路が崩落、集落が孤立しました。旧山古志村の様子です。(西田政雄さん撮影)
 行政職員でもない西田さんが私費で神戸や山古志を視察した理由はどんなところにあったのでしょうか?
 神戸につきましては、県外で仕事をしていまして高知へ戻るまえの頃でした。ちょうど地震が起きました翌月に神戸入りをしました。現地に友人がいました。彼のアパートに転がりこんで、復興の状況をつぶさに見ていました。
 山古志につきましては「1・17神戸に灯りを」ということで、長島村長や村会議員の田中さんにもお会いしました。それで交流を持ちました。
神戸市の友人設計士のチョ・ホンリさん。
元山古志村村長長島氏(現衆議院議員)を訪問。
 昨年のフォーラム「震災からの復興〜今 そしてこれから」(映画「掘るまいか」上映も含め)、その開催日の前夜に「番組出演者交流会」をはりまや橋商店街のわくわく広場にて開催いたしました。
 そのときに、神戸の人も、山古志の人たちも来られていました。その後西田さんは彼らとの交流はどうされているのでしょうか?
                    番組交流会の様子です。http://www.nc-21.co.jp/dokodemo/bbs3/kouryukai2005-318.html
 あの後の昨年の4月に雪がまだ残っている状態の時に山古志へ行きました。仮設住宅(避難住宅)に村民の皆さんが居られました。3日ぐらいそちらにいました。まだ村民が村に立ち入れないときに、村内をすべて廻って来ました。
そのときの様子が西田政雄さんのblogに納められています。

http://npowagaya.blog.ocn.ne.jp/nisiyann/cat1163771/index.html

 またふぁーまー土居さんが三里の消防団をされています。その団員の人たちと一緒に6月にも山古志を訪問しました。その後も交流は続いています。

西田政雄さんが2005年に訪問された旧山古志村の罹災地の様子です。(西田政雄さん撮影)
長岡市にある旧山古志村の人たちの罹災者住宅。西田政雄さんは詳細に住民の方から体験談などを聞かれています。
 元山古志村村長の長島さんは昨年の総選挙で衆議院議員になりました。確か北陸ブロックの比例代表で選出されていました。国政の場でどのような防災対策の取り組みをされていますか?
 そうですね。行政として罹災地域に予算をどのように組み込んでもらえるか。1村長や1行政の担当であるより、国政の場へ行ったらよかったということでした。4月にお会いした時は「ひくも地獄。進むも地獄」と言われていました。そのときは苦労されていました。
 一方神戸のほうは、2月16日に神戸空港が開業したりしました。あまり震災復興とは関係のない公共土木事業ではなかったのでしょうか?神戸の人たちはどのように言われていたのでしょうか?
昨年の神戸市の様子。罹災後10年を経過し、表向きは復興していますが・・・(西田政雄さん撮影)
 そうですね。神戸の下町の人たちは大変怒っておられました。「復興と名を借りた都市計画の青写真の置き換えだ。」と。
 長田にも地下鉄があります。赤字なんですね。震災直後に神戸市が何をしたのかといいますと自分達が勝手に描いた都市計画の図面の置きやすいのを長田へ持ってきたのです。そういう経緯があったらしいです。「なにを考えているんだ。」という意見も根強く市民にはあります。
 「市民がつくる防災フォーラム」ということで、西田さんたちはされていますね。市民の立場の目線から見られて、行政とは一線を引いているのでしょうか?自分達の目線で防災に対する知識を身に着けようというのが西田さんの立場なのでしょうか?
神戸市での市民フォーラムの様子(西田政雄さん撮影)
昨年12月高知市で開催されました防災フォーラム
 正直そうですね。現場へ行きまして、生の声を実際に聞いてきませんとわからないのです。行政からの情報だけではわからないことも多いです。
 行政からの情報は「カットされている」「フィルターにかけられている」と考えられているのでしょうか?

 情報には「綺麗な情報」と、アンダーグランドで「汚い情報」があります。汚い情報は行政は言いたくないし、出したくないでしょうから。
 ということは「どこそこで人が亡くなりました。」という情報を出しても、「なぜその人が亡くなられたのか?」という原因については行政だけの情報では出てこない事例が多いということなのでしょうか?
 出てこないです。例えば震災後、マスメディアのヘリコプターが何台も罹災地の上を飛んでホバリングをしていました。あの騒音では瓦礫の下、家屋の下敷きの人たちの助けを呼ぶ声が聞こえません。
 という事実もあります。高知でも同じことが起こる可能性があります。救助活動を懸命にされている住民は何度も「ヘリコプターの罹災地上空の旋回をやめて欲しい」と要望を報道各社にしましたが、ことごとく無視された経緯もあります。

 昨年でしたか神戸市の人たちが震災語10年ということで全国を廻られていました。その人たちが高知へも来まして日赤の人たちとの打ち合わせもしていました。たまたまわたしもその場にいましたので、「報道のヘリコプターの騒音で瓦礫に埋もれた人たちの声が聞こえず亡くなられた」ことを発言しました。
 そこに居られた神戸の看護士の方が発言されました。「何人亡くなられたかはわかりませんが、亡くなられた人は多いと思います。」罹災の翌日にも報道のへりコプターを自粛してほしいと住民側は報道各社に要望しましたが受け入れられまんでした。
 罹災直後の「制空権」ということで、きちんと定義しないといけないですね。高知の日赤の人たちは、高知医療センターへ高知市内からの罹災者の輸送をヘリコプターを考えられていたそうです。医療物資も患者の移送もです。それを再考しなければならないということになったそうです。そのあたりの話は行政の人は、言いたくても言えない部分かもしれませんね。

 山古志の様子は西田政雄さんが現地で撮影された写真の一部を公開させていただきます。詳しくは  こちら をクリックください。