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報道と人権について
 今週のゲストは朝日新聞社高知総局の篠塚健一さんです。今日のテーマは「報道と人権について」でお話を伺います。
 10年前長野県松本市で、オウム真理教による「無差別テロ事件」がありました。毒ガスのサリンを大量散布する事件でした。その第一通報者である河野義行さんを、警察は当時被疑者扱いし、各メディアは河野さんが被疑者のように報道し続けました。後に誤報であることがわかりました。
「河野義行さん事件」のあと各新聞社などは対策をたてられたのでしょうか?現場の記者として、篠塚さんは気をつけられていることとか。実行されていることはどのようなことなのでしょうか?
 そうですね。河野さんの事件の頃は、私は大学生でした。就職する以前に河野さんが京都に来られ講演されました。事件に対しても感心を持っていました。
 誤報を防ぐ方法はあるか。と言えば答えから言えばないだろう。と思います。というのは、記者も一生懸命取材する。しかしそのなかに誤りは100%ないとは言えない。間違ってしまったときにどう早く対処できるのか。名誉回復が図れるのか。それが問われていると思います。
 そういう意味で自分自身が記事を書くときに、「自分はこうだから書いたんだ」と自分のなかできちんと納得して説明出来るもの。それが得られるための取材を積み重ねていくということが、日頃心がけていることであります。
 私なんかは警察の発表を新聞社が鵜呑みにして記事を書いたのではないかと簡単に考えてしまいますが、そんなことはありえないと言うことでしょうか?
収録の様子です。収録の最中も電話がかかっていました。取材記者はご多忙です。篠塚さんの職業意識を感じました。
発表してきた資料をそのまま書くことは、基本的にはありません。例えば例を出しますと、大阪での記者時代ですが、「ひったくりで少年グループが200件自供」という発表があったとしましても、実際つきつめて取材してみますと、少年たちが自供していても、裏付けを取っているのは20件しかない。実際事件として送致するのは15件しかない。ということもあります。
 警察としての宣伝という要素も入ってきますし、容疑を本人が認めているかどうか、事件の概要がどういう形で裏付けられているかどうか。そういったところを基本的には出来る限り、追求と言いますか、裏付けをを取ってその上で、間違いないところで記事にします。
 裏取りをして、ちゃんと取材をされているわけですね。記事になるまでのはかなりの「工程」や作業を経ているわけですね。汗を掻いていることなのですね。
 新聞は締め切りがありますね。これは決定的な要素になります。締め切り15分前で何か起こるのと、3時間前に何か起こるとでは対応のしかたも変わってきますし、危うさもあるといえばそのとうりかもしれまんが。
 記者は細心の注意を払って真剣勝負をしているということは言えます。
「報道被害」や「風評被害」はどうして発生するのでしょうか?
それを防ぐ自主規制や報道協定等あるのでしょうか?
 自主規制や報道協定などにつきましては、私自身が体験したことはありません。なぜ起こるのかと言えば、たくさんメディアがありますね。1社だけが取材しているのであれば、そんなことにはなりません。
 10社とか大きな事件となれば、もっとたくさんのメディアも来ますね。個々の記者としてはきちんとやっていますが、結果的に被害を与えている印象があるかもしれません。
 大きな事件ともなりますと、新聞社・テレビ局だけではなく、週刊誌やフリージャーナリストなども来られます。普段メデァア同士でお付き合いのない、初対面の人もいるわけですから。いろんな問題がおきやすくなるのは事実です。
 また大きな事件としては、1998年7月に和歌山市で発生した「カレー毒物混入事件」がありました。現在は被疑者は逮捕され、裁判が継続中です。この事件の特色として、被疑者の特異性もありましたが。被害者の取材について「過熱報道」ということも批判がありました。そのあたりの配慮や地域との繋がりはどうあるべきなのでしょうか?
 実際に取材されてどのような感じであったのでしょうか?
 私が赴任した当時はかなり整理が出来ていました。記者クラブは和歌山市とか県とかにありますけれども、そういう単位である程度取りまとめて、取材を共同で行うとか、あまり散発的にいっぺんに取材に行ってご迷惑をかけないとかは、各社、各社で配慮しながらしていました。
 やはり大きな出来事があった日。例えば初公判があった日などは、どうしても報道陣が大勢集まる形にはなります。
 ただ住民も人達もある程度免疫が出来たのかと思いました。
朝日新聞高知総局。
 現在あそこの町ですが、町内会や祭りなどは復活しようと言う動きはあるのでしょうか?
 離れて4年ぐらいになりますので、直近のことはよくわかりません。
 町内で夏祭りをもう一度やろうということを言い出せるような雰囲気ではないようです。あれだけの出来事ですからね。4人も亡くなっています。
63名の方が中毒になった事件ですから。そういう雰囲気はないですね。
 裁判の展望なのですが。被告は最初は完全黙秘をしていたようですが、最近いろいろ供述しているように報道されています。これはどういう風になると予想されのでしょうか?
 もともと一審の時も夫の林健二被告の裁判がありまして、彼女も証人として出廷しています。いろいろと喋っていました。検察官の追及もあり、彼女の主張も退けられたこともありました。自分自身の裁判では一言も喋っていません。
 弁護団の人達の思いからしても、裁判戦術というか、黙っていて有罪になったのですから、2審においては喋るという形で方向転換したということでしょう。
 容疑者とか、被告とか言う表現で、報道された場合、私たちは「犯人扱い」しているのでは。と私たちは考えてしまいます。そうではないということですね。
 記事の上ではたとえば、断定していることはありません。「何々として」「どこどこ署の調べによるとなんとかとされる」ということを必ずルールとしてつけることにしています。
 だから「事実であるところ」と、「容疑をかけられているところ」と、
ちゃんと区別をして書こうと言うことです。書く上では細心の注意を払っています。読者の皆さんがそこまで気づかれて読んでいただいているかはわからないところはあります。よく読んでいただければ、回りくどくしているなという印象は受けられるのではないでしょうか。
 「なになにとされている」と情報源を記事の中で明らかにする場合もあるわけですね。
 していますね。「何々署の調べによれば」と、どこどこ署の調べでは、そういう容疑で逮捕したと言うことを言っています。わたしたち(報道者)が事実を知っていて、特定したと言うことではなくて、何々署がそういう風に見ているということを、段階的にお伝えしているだけです。
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