土佐地域文化研究会とは?
 今週のゲストは高知大学人文学部助教授の蕭紅燕(ショウコウエン)さんです。今日のテーマは「土佐地域文化研究会とは?」でお話を伺います。
 地域社会学の一環として「土佐地域文化研究会」が開催されているようです。都市化が進み、農山村は過疎化が急速に進む日本社会。あえて高知の地域社会にこだわるのはどういう理由からなのでしょうか?
土佐地域文化研究会はだいたいいつごろから始められたのでしょうか?
またどのような意図や、目論見があるのでしょうか?

 わたしは1997年に縁があって高知大学に来ました。前任は大野晃先生いつも地下足袋を履いて山村に分け入るという方です。大野先生の後任に公募で採用されたのが中国人のわたしです。


 ところが、当初自分は土佐の地域社会について何も知りませんでした。それで「土佐地域文化研究会」を皆で立ち上げて6年間続いています。多分一番自分にとってためになっていると思います。


 始めたのは赴任3年目の1999年です。5月だったでしょうか。1回目の発表者が吾川郡伊野町(現いの町)の神谷(こうのたに)の神官三宮さんでした。

そして、研究会とは別に「日帰り野外学習」「乗合講義(オムニバス)
郷土学習」の開講、「ふれあい課外講座」『土佐地域文化』誌の発行
などをしております。
日帰り野外学習の参加者は社会人がほとんどです。
「郷土学習」という授業は、
テーマを決めて複数の講師に3年連続で依頼しました。
学生にとってまことに刺激的で、血の通った話ばかりでしたが、
惜しくも統合後、廃止させられました。

その後、友人に助け舟を出していただき、
昨年暮れから2人3脚で新たに始めたのが「ふれあい課外講座」。
それこそ地域の力、民衆の力と智慧を授かろうと、
毎回、県内の寺院や神社にご協力いただいています。

最後に『土佐地域文化』誌の編集と発行を取りあげたい。
これもわが「地域社会学研究室」に課せられた使命ともいえます。
発行部数500冊、年2回刊行。
執筆陣はこれまで130名近く、年齢層も20歳台から90歳台と幅が広く、
しかもみなさん、無報酬で喜んで原稿を書いてくださります。
念のため既刊本を紹介しておきましょう。

第1号(紫特集、品切)、第2号(酒特集、品切)、第3号(鏡村特集)、
第4号(山村特集)、第5号(鏡川特集)、第6号(漁業特集)、
第7号(海特集)、第8号(飲食文化特集)、第9号(森特集、2005年
7月小暑発刊予定)

高知大学朝倉生協書籍部、富士書房の郷土コーナーに置いてありますので、
ご興味のある方は、どうぞお買い求めくださいませ。
この叢書を授業「地域社会学」の課題書としても利用しております。

 
ゲストも多彩なようです。分野や限定していないのでしょうか?またどのくらいの間を置いて開催されているのでしょうか?
 基本的には月に1回ですね。夏休みと冬休み以外に月に1回開催しています。年間8回から9回。分野は限定しません。年齢層は20歳から80歳代後半の方まで。神官さんや和尚さんもいます。
 とにかく地域のことに関心を持ち地道に研究し、調査をされている人。そういう方々に講師をお願いしています。
蕭さんから見られて高知の地域社会はそれなりに「人材」はいるのでしょうか?
また連続セミナーをされて見えてきたことはどんなところなのでしょうか?
 高知は面白いですね。民俗学の分野では、第1線で活躍されている多くの方々が20代の頃、大豊町、物部村、池川町、本川村などで調査をされています。ある意味で土佐という土地が、多くの研究者を育てたわけです。
 民俗学の宝庫といわる所以です。
日帰り野外学習。かわうそ道の駅にて(須崎市)
日帰り学習。安芸市。

 地域社会学は、地域の人たちの協力や支援がなければなりたたないと思います。
そのあたりはどうでしたでしょうか?
 まさにそのとおりです。今大学では「構造改革」とかで予算がどんどん削られ、やれないことが多くなっています。そういう大をあてにせずに、それこそ地域の力、民衆の力を貸していただこうと想っています。
 地域の皆さんは手弁当でを報酬なしで喜んでいろんなことを教えていただいてくださいます。感動的です。
  蕭さんが地域文化研究会を始められたのが1999年と伺いました。
 始められた頃と、最近ではなにか地域社会に変化はあるのでしょうか?

 地域社会は「お上の」政策にどんどん翻弄されることです。例えば平成の大合併。昭和の大合併のしこりが大豊町などではまだ残っているのに同じ事をくりかえそうとしています。
 まあ、いうたらわたしらは所詮よそ者「外国人)。何がわかるかと言われるかも知れません。しかしわたしたちはこの国で働き、税金もちゃんと払っていますので、「言論の自由」ぐらいあってもいいと想います。

安芸市を訪ねて
室戸市吉良川地区の炭焼(土佐備長炭釜)
 
 さきほどもご指摘されました。最近政府は人口1万人以下の町村も、なにか処置をかまえて再度合併を推進するようなことも打ち出しています。
 それは蕭さんから見られて地域社会の影響はどうなのでしょうか?
 良い面、悪い面あろうかと思いますが。どうなのでしょうか?
 町村合併はいろんな目論見があるのでしょう。何年か前に県庁の地域政策室の隅田さんという方に町村合併の話をしていただきました。
 どうしても上の、為政者側の思いが強いようですね。市政が制定されたのは明治の頃です。大正、昭和の合併を繰り返してきましたが、これも 当時の政治体制や税金対策ではないでしょうか。庶民の生活よりも政策指導のものが多いですね。
 中国人は「上に政策あり。下に対策あり。」としたたかに対応する心構えがあります。土佐は少し違いますが、隣の愛媛県を見ましても町村合併に乗るのが驚くほど早い。
「志摩半島班」のゼミ生が三重県鳥羽市今浦という漁村を訪れ、村のおじいさんに案内いただいた。(99年)
今浦大江寺にて
 愛媛などは模範的ですね。それから四国中央市などとんでもない名前。国の片棒を担ぐのは言いすぎですが危険ではないのでしょうか。
 早い話、日本という国は「支配しやすい」国なのでしょう。為政者にとっては。

 個性を抑圧するところがあります。「中央」には敢えて異議を申し立て、逆らうようにしない。そのくせ支配者を選ぶのは実にいい加減ですね。誠意を持って論理的に議論を展開するのではなく、筋の通らぬ話ばかりする者が政権の座にいますからね。

 まさに情けないことですね。それに為政者はいかに税金徴収を確保できるか、そのことばかり考え、地方の経済や民衆の暮らしに無関心か圧迫したりします。

外国人たちがよく通う居酒屋にて
土佐の地酒コーナー