スローライフな世界とは?
 今週のゲストは杉本久典さんです。杉本さんは農業関係の技術者で高知県庁に勤務されています。今日のテーマは「スローライフな世界とは?」でお話をお聞きします。
 いままで農業の話、環境の話、ユニバーサルな暮らしの話、西表での釣りの話しを聞きました。それは時間にとらわれない、マイペースなスローライフな世界なのではないでしょうか?
杉本さんが「スローライフ」を提唱されたきっかけはどのようなところにありましたか?おかまいない範囲でご紹介下さい。
 やはり二人の障害のある子供と一緒に暮らしていることがきっかけだと思います。自分が経験して来た受験戦争とか就職試験とかそういうものとは無縁の子供たちです。スピードと効率、言い換えるとお金とか経済性を優先した社会、暮らし方ではこの子たちは幸せになれない、居場所がないんだとまず感覚でそう思うようになりました。
経済がずっと好調で、例えば物理的に十分介護サービスなどが受けられたとしても、勝ち組、負け組を生み出すだけでますます二極化がすすむ社会のなかで、自分自身が、そんな社会ではお荷物でしかない子供たち(いけない考えだなとも思いますが)と幸福感みたいなものを感じながら暮らせるのだろうかと思っています。
長女の早帆(さほ)さんです。
次女の絵里さんです。
 機械やコンピューターが発達し便利になりました。コンピューターの発達で、外に出るのが難しい障害者も自宅で仕事ができるようになってきていると思います。事故などによる中途障害で車いす生活を余儀なくされているかたや、脳性麻痺があるけれど、学力は十分でパソコンがあれば事務的な仕事はやれる、そんな人たちの就労や生活の場は広がって来ています。
また、知的な遅れのある人たちもいろんな福祉作業所があって、高知でも従来の福祉的な就労から一歩進んで売る上げを伸ばそうと取り組んでいる「すずめ福祉会」や「ワークスみらい高知」さんなどによって就労の場は広がっているように聞いています。知事はよく障害者も納税者にと言ってますが、まさにそうなってきている。
第2回福祉機器展での情報機器展示ブース。多機能PCです。
障害者福祉センターでのblog作成講座の様子です。
 でも、少し視点をかえるとちょっとちがった考えかたもあるように思います。これらのことは現在の社会システムの中ででてきたことだと思います。すばらしいことなのですが、僕らが暮らし方を少しでも変えていくと、もっとそういう取り組みが生きてくるように思います。
 一つの例なのですが、うちの両親が家を建てたとき、地元の大工さんにお願いしました。現場には南海学園の卒業生の方がいて、作業に時間はかかるのでしょうけれど、確実な仕事をしていたように記憶してます。自分の家は最近増えてきている、大きな鉄筋の枠に壁やサッシがついたのをポンポンと重ねてつなぐみたいな建て方の家でしたから、地元の障害者が関わることはありませんでした。
 以前なら手作業でやっていた作業に、機械やコンピューターを使うようになって効率的でコストダウンなるのかもしれないけれど、例えば知的障害者の方にはなかなか仕事がおぼえられないそんな側面もあると思います。
 最近、TVで昔ながらの手作りにこだわるお菓子屋の紹介を見たのですが、最後にでてきたベテラン職人さんは障害者のかたでした。番組のつくりも方、店を支える職人さんはたまたま障害者みたいなさらっとしたもので僕としては好感が持てました。店主が機械を入れて売り上げのばそうと考えたら、彼はリストラ対象だったかもしれません。

 お金や効率を追い求め大量生産・大量消費をよしとする社会、生活より、食べることや遊ぶこと、何かをするときのプロセス自体を楽しむような暮らし方が尊重される社会は、きっとうちの娘たちも社会の中の一員としての居場所を確保して暮らしていける社会だと思っています。そのために、スピードと効率優先のファーストからスローに転換しなきゃと考えるようになったわけです。

杉本久典さん
 結果だけを重視する社会ではなくて、ゆっくりでもいいからプロセス自体を楽しみたい。そういうことも評価する。そんな暮らし方が、尊重される社会。その暮らし方を「スローライフ」と言われています。そういう社会になればうちの娘達のように今の社会の中で、もしかすると何も生み出さないとされる人間でも社会のなかの一員として、居場所を確保して暮らしていける。そういう社会になるのではないか。と思います。
 ファーストフードの代表は「スマイル・ゼロ円」を宣伝文句にしていました。親ばかなんですが
「うちの娘は100万ドルの笑顔」を持っていると思っています。そういう思いでスピードと効率優先の「ファースト」というところから、「スロー」に転換しなけれがならないと思っているところです。
 高知は田舎なのに「いられ」の多いところでもあります。沖縄などは気質からして
スローではないでしょうか。
 「いられ」は短気、気が短いという意味だと思いますが、スローライフのスロー、その反対語のファーストとは意味合いがちがうように思います。イラレのおんちゃん(おじさん)は自分も含めたくさん知ってますが、生活自体は結構スローライフではないでしょうか。効率的に金儲けしているイラレはあんまり知りませんけど。
 お金を拾ったら、儲けたと言って自分の金を足して大宴会してしまう人たちは十分スローライフではないでしょうか。
西表の定宿の近くに公民館があるのですが、公民館の庭で酒盛りしてるのを何度か見かけたことがありますが、結構、高知的です。
 きっと、今日は良い魚があるからとか、うちの息子がテストで100点取ったとかそんなので飲んでるような気がします。
本山町での川田めだか農園作業小屋完成での交流会をされる川田雅敏さん
奄美群島かけろま島で交流される柏原健さん
 最近の日本の社会もぎすぎすしていまして、子どもの犯罪やら、猟奇的な殺人事件も頻繁に起きています。 「ぐず」とか「のろま」とかいう言葉は、相手の事情を考慮しない攻撃的な言葉です。日進月歩で変化の早い現代社会と対極の価値観ではないでしょうか?日本はアジア的なのんびりさを破壊して、より現代化しておかしな方向へ向かっているように感じるのですが?
 僕にはアジアや日本の文化的な背景みたいなことはわかりませんが、少なくとも自分たちの子どもの時から、「遅いよりは早いほうがよい」と教えられてきました。うちの子供の状態を説明するとき、心身の重度発達遅延ですという言い方をします。遅いことは遅れ劣っていることなんですね。
 学校や企業でも、遅いよりは早く、古いよりは新しくだと思います。僕の子供の頃、山本直純さんでしたか「大きいことは良いことだ。」いうCMが当たりました。まさに大量生産大量消費の象徴ですよね。
 でも、このまま効率優先では、地球環境自体ももう危ないという考えに異論を挟む人はもういないと思うのですが、アメリカには結構いるのでしょうかね。アメリカと中国は京都議定書から離脱したままですし。こういう状況は危険な状況であると思います。
 日本人は勤勉です。もしかすると、その勤勉さゆえに本来日本人が持っていたスローな部分を押し殺して、丁度僕らの父親世代は懸命に突っ走って来たのかもしれません。
 一方で日本では「粋」とか「いなせ」とかいう言葉があります。これって、一見無駄なことだったり、ただのやせ我慢だったりします。こういう感覚を大事にする、効率的に結果だけを追い求めるのではなくてプロセスを楽しむ余裕をもつ、かりに金銭的に裕福でなくてもゆったり生活していく。こんなスローライフが浸透していけば、きっとみんな暮らしやすい良い社会になると思います。
 

高知市神田高神(たかがみ)地区の町内会長をされている佐竹敏彦さん。地区の有志と共に炭焼き小屋をこしらえ、囲炉裏のある小屋まで建設されました。

 炭火で焼く猪鍋は最高に美味しいそうです。

若草養護学校のホームページ       http://www.kochinet.ed.jp/wakakusa-s/
スローライフを早くから提唱されているところです。   http://www.slownet.ne.jp/
 
5月番組に戻ります