住民の力を引き出す方法は?
 今週のゲストは、地域の元気応援団、高知県庁企画振興部地域づくり支援課、地域支援企画員である隅田紀子さんと、松岡好江さんです。
 今日のテーマは「「住民の力を引き出す方法は?」です。「市民力」とか「住民力」とか言われている地域住民の企画力や運営力が問われる時代になりました。


 隅田さんや、松岡さんは地域に入られて、どのような形での活動をされているのでしょうか?おかまいない範囲でご紹介下さい。

隅田 私たちは、西村健一さんとお近づきになったのもそうですが、「はりまや橋商店街」によく行かせていただいています。
 定点で関わらせていただくと、様々な人の想いをそこの場で、聴くことができます。
はりまや橋商店街が毎週金曜日に地産地消市であるアーケード内のはりまや市と同時に開催している「はりまやサロン」に行きますと、七輪サロンを実践されている西岡燃料店の西岡謙一さんをはじめ、さまざまな「まちづくり」に想いを持っている方々が、集っています。その方々のお話を聴かせていただきながら、私たちにできることは是非、ひとつひとつ積極的にお手伝いしていきたいと思っています。
はりまや橋weblogサロンの様子です。
七輪さげて海ご飯もはりまや橋商店街で開催されました。
中でも、商店街が主催している、毎月第三木曜日に街中で童謡を楽しむ「木々クラブ」は、毎回40人を超える人々(主に高齢者の方が多いのですが)、この方々が、街中に歌声を響かせ、しばし童心に帰る貴重な場となっており、思い切り唄った後は、それぞれが晴れやかな顔で、思い思いにまち歩きを楽しんでいます。

「木々クラブ」は、第3木曜日の午後2時という時間と、500円という参加料が決まっているだけで、一切のしばりなしに自由に参加できて、自由にやめることもできます。童謡も楽しめて、おやつもあって、仲間もできて、誕生月にはプレゼントももらえて、終了後は思い思いに街歩きを楽しむこともできる。何重ものお得感が人々を惹きつけているのだと思います。

10月には、木々クラブからの発展形で、土佐電鉄とはりまや橋商店街の生誕100年を記念した「童謡電車」が高知の町をにぎやかに駆け抜けましたが、これもお手伝いしていてとても楽しかったですし、「童謡電車」は、電車という『バリヤアリー』の空間を、商店街を始めとした多くの人々の手と手で、『バリヤフリー』に変えて、多くの高齢者や障害のある方が楽しいひとときを過ごすことができました。
 「童謡電車」は、電車という『バリヤアリー』の空間を、商店街を始めとした多くの人々の手と手で、『バリヤフリー』に変えて、多くの高齢者や障害のある方が楽しいひとときを過ごしていました。素晴らしい場であったと思います。中には、生まれて初めて電車に乗ったという障害のある方もいました。心が開かれるだけで、ちょっとしたバリアなんて関係ないと感じさせる素敵な瞬間に立ち会うことが出来ました。
もくもくクラブへ参加さrている人達が、路面電車に揺られて童謡を楽しみました。
松岡  9月には在宅介護支援センターしんぼりの旗振りのもとスタートした「まちなかいきいき百歳体操」は、当初5名足らずで始まったものが、徐々に賛同者を増やし、今では20名近くの高齢者を集めるにぎやかな鍛錬の場となり、小さな輪が地域の高齢者を巻き込み、大きなうねりを起こそうとしています。

 商店街という「face to face」の場所は、障害のある方や高齢者にとってやさしい場所です。
障害のある方も高齢者も積極的に出かけることができるような街が増えたらいいなあと思いますし、また、その機会を増やしていけたらと思います。

活き活き100歳体操の様子です。オープンスペースで実施しているのはここだけです。
 商店街という「face to face」の場所は、障害のある方や高齢者にとってやさしい場所です。
障害のある方も高齢者も積極的に出かけることができるような街が増えたらいいなあと思いますし、また、その機会を増やしていけたらと思います。
 それから、11月に商店街で行われた「福来の市」のイベントである「人と人のふれあい市」や、はりまや橋商店街の自主防災活動の「あそぼうさい」にも関わらせていただきました。
「人と人のふれあい市」では、商店街からご要請をいただき、私たちが今まで関わりがあって、是非、皆さんに紹介したい方々にお声を掛けさせていただきました。

 障害のある方の施設や作業所で作った、パン、クッキー、フランクフルト、お花、和紙製品やさをり織など、真心のこもった商品や、中国帰国者会の中国の家庭で日常的に食べられているぎょうざや豚まんなどの飲茶、灘漁港の新鮮な魚介類や干物類、鏡村のお寿司とてんぷら、土佐山村の自家産小麦の手作りパン、ジャム、その他香我美町のみかん、高知工科大学や高知女子大学の創作鍋など、日頃の金曜日の「はりまや市」とは、また違ったお店が並び、お客さんや商店街の方々にも好評であったと承っています。

 

「あそぼうさい」では、商店街のご尽力のもと、日本赤十字社高知市北街分区赤十字奉仕団、北街消防団、地区民生委員さん、高知市消防局警防課、高知市防災対策課、高知商業高校などの幅広い人々と連携のもとに、防災パネルや防災グッズの展示、消防自動車体験、炊き出し体験、消火器体験、防災ウルトラクイズと実践を通じて、子ども達と楽しく防災を考えることができたことは、商店街の社会的貢献としても意義が大きかったと思います。
 また、この「あそぼうさい」の防災活動を機に、地域の方々からお声があがり、はりまや橋商店街から北街全体に『防災』に対する取り組みの芽が拡がろうとしていることは、大変喜ばしいことであると思います。

 小さな芽なのですが、地域の人達がいろいろなことをを感じて声を上げていることが、それに「答える」ことが凄く大事であると思います。

特に今年は台風が来たり、水害があったり、地震が起こったりしましたから。ひじょうに「災害が身近になった」ということもありますので。

隅田 そうですね。大切なことだと思います。
 それと関連しまして、犯罪が起こったときも、いくらGPSの携帯電話を持っていましても、こどもが誘拐され殺害した痛ましい事件がありました。言われていますのは、「地域の人達との繋がり、コミュニティとか、人間同士の触れ合い」ですね。
 そのことの「再構築」を商店街を通じてやっていくことが、住民の力を引き出すことになるのではないでしょうか。
松岡 そうですね。商店街のほうも「街のひとつの顔」でありますので、商店街の方と、地域の方とが連携して、防災について考えたり、これから「地域全体で」、防犯についてもそうですが、地域の人達それぞれが、それぞれの役割を果たすことが出来ることでは、画期的なことであったのではないかなと思います。
「生き生き100歳体操」をご紹介されていました。私の母も参加させていただいています。西岡謙一さんのお母様とも、一緒に来ている母の友人が50年ぶりに再会したりしました。従来は介護センターなど「閉ざされた施設」のなかで、実施されていました。
 あれをオープンスペースのなかでしているので、本人達も非常に喜んでいるようです。あれはいい試みではないでしょうか。
松岡 私も一番最初に一緒に体操をしました。オープンなので、恥ずかしい気持ちもありました。童謡を唄う「もくもくクラブ」なども参加者の皆さんに、恥ずかしいという意識が働くのかなと思っていました。かえって体操や童謡に集中していますので、やっているほうも楽しいし、商店街を通って、通られる方も雰囲気が伝わり、良いのではないかと思いました。
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 それから、商店街を通じてお近づきにならせていただいた、重度重複障害のある子どもたちが豊かな地域生活を送るために必要なことを実現する会として活動している「オープンハート」さんの活動についても応援していけたらと思っています。
外に派生する可能性があると思いますね。これから冬になりまして、寒くなりますが。そういう雰囲気を大事にして続けてほしいなと思います。
OPEN HEARTのみなさんは、磨き備長炭をはりまは橋市で販売されています。
 
県庁内の「協力体制」はどうなっていますか?行政は「縦割り的」だと言われています。「横断的な」活動が、地域支援には必要であると言われていますが・・・。
隅田  地域支援企画員は、「県庁」からの全面的なバックアップ体制を取り付けた形で、地域で活動しています。
県庁の組織としては、各部局の主任企画員が、窓口となって各課室とのパイプ役をつとめてくれています。 
私たちは、確かに企画振興部地域づくり支援課に所属していますが、必要に応じて各課室に協力していただきながら、「横断的」に解決をはかっています。

市町村合併の動きなどもあり、それは地域支援の活動には影響があるのでしょうか?
松岡 市町村合併は、あくまで行政の枠組みの再編に過ぎません。
 市町村の合併協議会の中では、住民参加でのこれからの「まちづくり計画」が議論され、私たち地域支援企画員も合併協の中にオブザーバーとして参加し、住民の方々の声に答える形で地域づくりを一緒に考える場合もあると思います。
 私たちがかかわっている、高知市・鏡村・土佐山村の合併に関していえば、「村」の名称が消える鏡村、土佐山村の住民の方は、村が消える「さびしさ」や一番身近な行政窓口である「役場」のなくなる不安感を口にされますし、何とか「鏡村」「土佐山村」が「村」の名称が消えた後も、個性のある地区として尊厳をもって輝きつづけたいという想いがありますので、その想いになんとか応えていけたらと思
 派遣された地域や、地域応援団団員によって、住民との係わり合いが異なるのでしょうか?そのあたりはいかがでしょう。
隅田  地域の個性もあり、地域支援企画員の職種や年齢によっても、当然違ってくると思います。基本的には、自由な発想でもって、地域の方とともに活動するわけですから、当然活動のスタイルは違ってくると思います。
 しかし、地域支援企画員は、地域の想いを受けとめて地域のニーズに応えるという点では共通しているのではないかと思います。