雑誌・Velocityについて
 今週のゲストは、雑誌Velocity編集長であり、高知大学医学部学生の武田幸恵さんです。武田さんは大阪府高槻市のご出身です。このたび高知の若者層をターゲットにされたコミュニティ・マガジンを発刊されました。今日のテーマは「雑誌・Velocityについて」でお話しをお聞きします。
 従来のタウン誌とは異なることを宣言されています。どう異なるのでしょうか?
企画書によりますと、コミュニティマガジンである「Velocity」は年間4回発刊で、4000部発刊の予定。年齢層は10代後半から,20代とされています。武田さんと同世代の世代でしょうが、高知では数が少なく、目立たないのではないでしょうか?
 おっしゃるとおりこの少部数では目立たないのですが、初めからコネも何もない団体ですので、最初はこれぐらいの規模で充分ですし、これからも部数を極端に上げるつもりはありません。
 「大学サークル以上、会社未満という任意団体」なので、こういう団体が存在していてもいいのではと感じています。他県では情報誌も多様化していて、徳島なんて年齢層ごとに五冊もタウン誌があります。

 高知でそんなにいるのか、と問われれば、確かに大学生・専門学校生合わせて約一万人市場において、弊誌自体の必要性をもう少し検証せねばいけないという認識はあります。別にクーポンがついてなくても、それぞれの雑誌がターゲットを決めて読者をつかまえればいいんじゃないか、「もう少しピュアに雑誌を作りたかったので、発行部数は最小限に、読者の質を向上させたいというのが狙いです。」


 創刊号は、実験的で未完成な部分が多く、目的を達成するには程遠い内容になってしまいました。読者の方々の反響を踏まえつつ、さらに研究をしていきたいと考えております。

武田幸恵さん
 武田さんは「東京から発信される全国一律の情報に覆われていて地方も特色がない」言われています。地方の独自性を発揮するメディアがないからでしょうか?
 難しいのは、「地方の独自性だと評価されがちな点(≒観光的)」が「高知に住む方たちのリアルな生活」と必ずしも合致しないところです。
 高知にも濃い特色はあるのですが、例えば、イオンやサニーマートで買い物している人が大半なのにも関わらず、住民相手に「高知の独自性を築く為に、いつも曜日市で買い物するようにしよう」なんて呼びかけても、無意味なのではないかな、と。そう心がける事は出来ますが、周りに大型スーパーが既に存在している以上、もう仕方のないことなのです。
 どこを掬い取ってやるかというと、「本当の意味での地方の独自性(≠観光的)でない部分」です。それは、他県の人からは見えにくいけれど自県民は自分で気づき得ない部分なのでは、と気づいた事が、この雑誌を始めようというきっかけになっています。
 例えば「昼からお酒を堂々と飲む広場、って他の土地にあります?」ひろめ市場の存在はかなりカオティックですよね。観光的でもあり、また地元の方々も普段使いで来られる、希少なポイントです。

 高知県は、「優雅な沈黙」を気取っている場合ではない、「評価」を受けることに対して貪欲であるべきだと感じます。「ごちゃごちゃ言わないで、ほっといて。うちらは楽しいから。」という声はよく聞かれますが、全国的・また世界的に取り上げられる機運を高知県が自ら演出していかなければ、人口減が見込まれる中(しかも若い世代ばかりが減っていく)、高知県はいずれ「おばあちゃん天国」になってしまう。(病院数も多いですし、福祉施設は整っています。)

 「おばあちゃん天国」という方向でよいのなら、もっと色濃く出さないと「高知県が福祉的に先進地域である」という事実ですら、全国では全然届いていません。


 顕示欲をむき出しにする事はありませんが、私はある程度「高知に住んでいる事」で大阪の人にうらやましがられたい気持ちはあります。ただそれだけの為に雑誌を創っているとも言えます。でも、あんまり「暑苦しく」まちづくりを呼びかけると、最近のドライな若い人たちは引いてしまうので、やり方は考えて行動しようと心がけています。

 武田さんの考える「高知の独自性」とは何でしょうか?
 ステレオタイプでない情報とは何でしょうか?大都市の人たちにおいては高知のような地方都市には関心がありません。東京起点であれば、ハワイやグアム、ソウルやホンコン、東南アジアは身近です。なかなか地方都市まで関心が向かないと思いますが・・・。
「にほんの田舎」の文字だけを売り物にしたら、高知は間違いなく負けていると思います。
 他にも田舎は沢山あって、「自然」「太陽」「お酒」を売るのなら沖縄・鹿児島・秋田の方が全国的には認知されている印象があるという事。もちろん、想像の範囲を超える事はないのですが。
 例に挙げてみます。【PAPER SKY】という全国的に定評のある雑誌でつい最新号で、「秋田」がフィーチャーされました。

 http://www.book246.com/papersky_f.html

 この雑誌では以前に、ポルトガル・テキサス・上海・トロント・ナポリ・東京・パリなど有名都市を特集にあげているのですが、そこに「秋田」と来たときに、「あぁ、これが絶対的な田舎力なんだな」と思ったのです。
 世界の都市と「タイ(同等)」の扱いです。もちろん、秋田には世界遺産という強力で分かりやすい『ラベル』もついています。
 私が一番ここで申し上げたいのは、このPAPER SKYを読んで、その紹介のされ方があまりにも高知で適用できてしまう手法だったのです。
 例えば、(曲げわっぱのランプ→モナッカバッグ、山菜→イタドリなど、酒蔵→佐川町・・・)だったので、何故この号で高知が取り上げられなかったのか、今とても考えています。同じ評価のされ方をしても遜色はないはず。
 私はそれが、「秋田県が発する、取り上げられるべき機運」なのでは、と考えています。秋田県が発していると思います。もちろん、ただ単に出版社側に都合のよい選定だっただけなのかもしれません。まだ結論は出ません。
 その事を創刊号で一番訴えたかったのですが、まとまりがつかずに終わってしまいました。また機会があれば、第二段で特集を組んで、さらに深い考察に取り組みたいと考えています。そのような高知と『相似形』な地方には注目を払った方がよいのかもしれません。私は、今は岐阜と和歌山が、田舎力が強い地方なのでは、と勝手にふんでおります。
Velocityでは丹念で若者らしいこだわりの観点から高知の地方が取材されています。
 高知の若い人は、まだ高知に対してアンビバレンス(同一対象に対して愛情と憎しみを同時抱くこと。精神分析用語。)を感じているように思います。郷土愛が強い反面、都会に対してコンプレックスも隠せないのでは。どうやって高知に対して絶対的な自信を付けていくのか、そこがキーになるんじゃないでしょうか。高知に来たときも「高知えいやろ〜」「何もないとこが高知のええとこ」みたいな事を言う人が多くて、それがいいところなんだろうけど、私は「そんなにえいえい言うなら、もっと具体的に教えてよ」という気持ちが高かったんです。
 率直に言ってしまうと、ただ全面的に自己肯定しているように思えて、白々しさすら覚えてしまった事もあるのです。もちろん、それは誤解で、ご本人たちが口にするところとは、もう少し奥深いところで「高知はおもろい!」という実感を、近頃になってようやく心から思えるようになりました。弊誌は「かっこよく奥深く高知を自己肯定する手段」を探していこうと思っています。
 また参考にすべきなのは、高知に住んでいる外国の方の意見なんじゃないかなとも考えています。縁あって、この地に住んでいらしているのだと思いますが、日本には既にある『四国』のイメージにもとらわれず、純粋にこの土地の良さを認めて住んでいらっしゃるのでは、と感じています。親類関係以外、職場関係以外に、あえて高知を選んでいる理由・原体験があるんじゃないか、それらを弊誌でもご紹介できる機会を設けるつもりです。
フリーペーパーで出された創刊予告号です。
 東京在住の親類は、東京DLとDSの年間共通パスポートを1人6万9千円で購入し、年中家族で行っています。地方都市よりもテーマパークに関心が高い傾向があるようなのですが・・・
 まず楽しみ方が違うと思うので、テーマパークと地方を同列に扱うべきではないのではと感じます。テーマパークは家族や恋人、友人と一緒に過ごす「手段としての空間」であり、テーマパークから『与えられた』楽しみ方に沿って遊べばよい、というように既に楽しみ方が制限されている場所です。大都市の人は生活スタイルすら利便化されているので、『楽しみ方』を考える事も面倒くさいのかもしれません。地方はもちろん観光ガイドはあるものの、「必然的に存在している空間」なので、多種多様な楽しみ方を考えられる場所です。どちらがよいか、という事は価値観の違いも然りですし、都会の人からしてみれば地方は単に遠いから面倒くさい、日常的に行く場所ではない、という意見が多いのではないのでしょうか。
 Velocityは紙媒体のようですが、そのメデイァにした理由はなにでしょう?
最近は簡単に作成できるblogなどもあるのですが。電子媒体は活用されないのでしょうか?
 ここが一番のポイントかもしれません。以下のお話は「情報媒体としての、ブログの懸念事項」に範囲を限定させていただきます。
 電子媒体がお手軽に取り入れられるようになった今、「1億人総しったか(しったかぶり)化」するのでは、と危惧しております。ブログという同じ「土俵」が整い、どの情報も一見フラットに扱われているところが、恐いのです。逆に言えば、非常に民主的な道具ではあるのですが。
 専門知識を持つ人の発言と、素人(ここでいう素人とは、表現者としての有名性を持っていない人を指します)の発言を平気で同じ扱いで取り入れられるのは面白い反面、その知識でまかり通ってしまう世の中って少し恐ろしくありませんか?
 

収録の様子です。武田幸恵さんは実に論理的な人です。短い時間でのお話しも「凝縮」されていました。

 「活字離れ」の若者と言われていますのに、雑誌Velocityは活字がびっしり詰っています。膨大な時間の取材とこだわりを感じました。

 ブログは簡単に発言が出来るがゆえに、「日記」「雑記」を超える発信が見受けられたら、「情報管理力」をまず私はそのブログで見たいと思っています。(引用があるなら、その旨をきちんと明記している事。そういう単純なマナーから。)ある程度教養のある方ならどの情報を信用してよいのか見分けられるとは思います。

 例えば、医学の場合、効果が疑わしい『民間療法』を患者さんがネットで見つけられ、それを取り入れて欲しいと主張されるケースがあり、そこには医療のパターナリズム(父権主義)も関わってくるのですが、患者さん主体の治療を考えた場合、どこまでその『情報価値』を正してよいのかが分からない。むげに否定する事は出来ないですし、ひょっとしたらその情報が医療従事者側にとってもただ単に勉強不足なだけで、情報として貴重なものであったりする事も考えられます。
 大事なのは『出所』『ブログとしての情報管理力』、考えすぎだと思われるかもしれませんが、将来携わる職業の重みを考えると、私は少し頑固に考えてしまいます。
 これは極端な例ではありますし、紙媒体でも起こりうる事なのですが、WEBは紙媒体とは比較にならないほど、情報伝播力が著しく大きいのです。トラックバックやコメント、またはブログランキングによって、隅々からその情報に対して、より高度な「信頼性」を付加していく時代になったのでは、と実感します。

 信頼出来る情報(取材先に確認を取るという意味では)を、さらに『編集』されたものとしてお届け出来る紙媒体というものは、まだしばらくは無くならないと思います。信頼できる情報をセットにしてお届けする事は、雑誌の使命としてまだこだわり続けたい点です。もちろん、編集部員が単に紙というアナログな媒体が好きという理由も大きいです。

ホームページはただ単に時間的余裕がなくて、応援して下さっている方々には申し訳なかったのですが近日中にオープンさせる予定です。以上の理由から、velocityとして発信していくブログの開設は、各人の情報管理力を高めてから、もしくは雑記の範疇をこえないものとして、行うつもりでおります。

高知県知事橋本大次郎さんに取材。

知事室でのスナップのようです。

 編集スタッフは何人でされていますか?また発刊費用の工面、配布先の確保などは大変であると思いますが、お構いない範囲でお話しを聞かせてください。
 スタッフは19人です。(9/17現在。)発刊費用はオール広告です。広告が少なく見えるのは企画広告で記事に紛れ込ませていたり、全面で大きく広告を取っていただいているので、実はあの量でぎりぎりまかなえているのです。配布先は・・・とてもよくして頂いているので、まだあまり売れていない店舗さんには非常に申し訳ない気持ちでいます。高知新聞さんに今年の春に一度記事を掲載していただいたので、その分ある程度知っていただいている方もお見受けしましたが、やはり郡部になりますと、広告も打ってない分、いよいよ中身の実力勝負になってきます。今のままでは、やはり手に取っていただく機会すらなく、もう少し対策を講じる必要がありますね。
  地方新聞にも掲載されました。(高知新聞)
*雑誌のデータの一部は武田幸恵さんに提供いただきました。