石と文化・芸術を考える
 今週のゲストは寺尾産業有限会社寺尾石材店代表取締役の寺尾晴邦さんです。今日のテーマは「石と文化・芸術を考える」です。
 人類は過去石の文化が現代より色濃く存在していました。モアイ島の巨石像。スコットランド地方のストーンエイジは有名です。現代のように土木建設機械のない時代に、どうやって巨石を運搬し、加工したのでしょうか?道具はあったのでしょうか?
道具も知恵もあったと思います。それを「名誉ある大事業」と人々が喜んで楽しんでやったことばかりだと思います。そうでなければ絶対に出来なかったと思いますね。
ピラミッドなどは大変な土木建設技術です。また城砦なども石の建築物ですね。
コンクリートが登場するまでは、石が建築物にふんだんに利用されていました。日本も外国も同じであると思いますが・・・。
日本の石文化も世界的な技術力を持っていると思います。ただ考えることが小さいかもしません。狭い国土ですからね。インドネシアに旅行で行ったことがあります。世界最大の仏教遺跡がありました。ボルブドォ―ル寺院遺跡(ジャワ島)に観光で行きました。ガイドさんから「この遺跡はユネスコや日本の支援でとか、現政府が修復したとか言っておりました。その遺跡の後ろ側へ回ったときに、地元の石屋さんが修復をしていました。私も石屋なのでガイドさんに頼みまして、あそびがてら石を探してもらいました。
 向こうの人は「のかな」(のんびりとした)仕事をしていました。40度ぐらいの暑いところですからね。向こうの技術も結構高いものだと思いました。日本の技術も比較して高いものだと思いました。けれど石のちがいもありますし、いろいろと事情も違いますし、向こうはゆったり仕事をしていますね。でもきっちりと正確な仕事でした。
石の彫刻と言えばなにが有名なのでしょうか?
ミケランジェロなどは石の彫刻はこしらえたのでしょうか?

はい造りましてね。身近なところへ皆さん行かれます神社の石段も、お寺の石の階段なんかも全部石屋の手仕事です。最近は中国から商社が輸入した部品を貼るだけの施工が多いようですが。こちらの人は一打ち一打ち手仕事でしています。手仕事は日本ではされてきました。なんか機械で施工しているように人様から見られていますが、全部裏側には手仕事があります。全部それは石の彫刻と言えると思います。
神社のこま犬や石の塀、石の階段や石畳なども石屋さんのお仕事なのですね。その場合作者の作風といいますか、特色は「作品」に出るものなのでしょうか?
そうです。石立八幡宮は私が修復しました。こま犬なども彫刻家の顔が出るのですね。誰が見ても「お前が造ったんだろう」と言われますね。稲荷の狐を見ても「これは○○がこしらえた」「これは誰やろが造ったが」と彫刻家の顔が見えるわけですね。
 私がこしらえた観音菩薩像も仲間から見れば「お前が造ったのはすぐわかるは」と言われますね。
それはその人の個性なのですね。寺尾さんもこの石材加工の業界に入られて長いのですね。お年の割りに長いと伺っています。その蓄積などが出るのでしょうか?
どうなのでしょうか?私は彫刻は、2年目3年目からやっていました。仏像を納める工房に弟子入りをしていました。そこで親方の作品を造らせて頂いたり。その場合は自分を出さないようにしました。
石のことは詳しくないですが、石の産地と言えば四国では庵治が有名なのでしょうか?また加工する石は火成岩と聞いています。資源は無限にあるのでしょうか?
世界中にあります。日本でもさまざまなところに産地はあります。日本で有名な石と言えば御影石があります。兵庫県神戸市東灘区の御影町にあります。綺麗な石がでたところなので、その地名が御影石という名前になりました。火成岩、花崗岩が多いのは福島県とか、関東地方に多いですね。瀬戸内や九州も石の山地は多いですね。
大谷石というのは栃木県なのでしょうか?
そうですね。大谷石なんかは軽石ですね。なかに空気が入っていますね。家の塀とか飾りに使うことが多いですね。石川県の小松市の安山岩などもお墓などにもかなり使われています。
 芸術の分野でお話を伺います。石は昔も素材として使用されてきましたが、これからも数多く使われると思いますか?
寺尾さんが制作した観音像
若い彫刻家もかなり育ってきています。残念なことに石屋さんでだいぶ技術は廃れてきましたが、東京や大阪の美大や芸大でも石の彫刻などはずっと続けられています。芸術家の人たちが技術を継承していくという皮肉な面もあります。
そうしますと芸術家の人たちが「素材としての石」を使い続けていかれるということですね。
ある意味無限の資源ですね。暖かみがありますし、自然のものですし。私は好きなので、今後もずっと石に触り続けていきたいと思います。