肉牛の絵本について
 今週のゲストは、スローフード高知会長・焼畑による山起こしの会会長の上田孝道さんです。今日のテーマは「肉牛の絵本について」お話を伺います。
 上田孝道さんは元県畜産試験場長も歴任されていました。2005年3月15日に社団法人農山村文化協会「そだててあそぼう64 肉牛の絵本」として発刊されました。読ませていただきましたが、絵本ですが、日本での牛と人間との交流の歴史などが詳しく記述されていました。
 著作のなかで、上田さんが一番主張されたかったことはどのようなところなのでしょうか?地方の学校で牛を育てようということも提案されているようですが・・・。
 日本人と牛との関わりのなかで、678年から明治維新までの間は、「肉食禁止」の歴史が1200年ほどあります。それを皆さんにお知らせしたかったことがあります。そしてこれから牛のありかたというのは社会的にどうあるべきかを、どうすればいいのかを子どもたちにお知らせしたかったことにあります。
 
上田孝道さん
 日本では牛と人間との付き合いは古く、またつい40年前までは、私が子どものことまでは、農村に牛小屋があり、耕運機や運搬機がわりに牛が活用され、家族同様に大事にされていました。その牛を「和牛」として食用にしていったのはいつ頃のことなのでしょうか?
 そうですね。わが国の牛の歴史はといいますとほぼ1600年あります。その歴史は労力の助っ人として牛が活躍していた時代が殆どです。牛肉を食料として食べだしましたのは明治維新からです。特に牛肉が沢山食べるようになりましたのは、ここ30年〜40年前のことです。
 ですから牛を食べることを目的だけに飼いだしたのは30年〜40年前からのことです。
 これからの牛の飼い方と言いますのは、ただ食べるだけに牛を飼うのではなく、歴史をなぞらえて、人間が困っている部分を牛に助けてもらう。それは何かと考えますと、野原に草がはえますね。日に数センチ伸びるものです。実際それを刈るのにみな困っています。お手上げです。
 これを牛が4本の足で食べ歩いたらどうか。食べ歩いて結果草刈することになります。これに着目しています。いわば放牧なのですね。
 普通の放牧場を作った放牧ではなしに、耕作放棄地とか、そういうところに牛を放つことによって農地を保全する。子牛が生まれる。子牛が販売されてお肉になる。牛に働いてもらう。それによって人間と共生してバランスを取るそういうことが狙いです。
 高知では嶺北や窪川の牛が有名です。平地が少なく,山地の多い高知県では畜産は大変な苦労があったのではないでしょうか?
 確かに高知は山の多い県です。急傾斜地で牛を飼えるとは思ってはいませんでした。高知県は山地酪農という技術をだんだんに開発してきました。高知県は殆どが山なのですね。この高知県の山で牛をどのように活用するかということで、森林のなかで下草刈りや。林道の草刈など山の中で人がやると大変なことを牛にやってもらいます。そうしますと林業も畜産も生産コストを下げることが可能になります。そういう努力をしています。
耕作を休んだ棚田に牛を放牧ノシバを繁殖(奈半利町)
林間放牧/モー刈る育林(大豊町山本森林)
 絵本を読んだ子供達の反響などはいかがでしょうか?都市部の子供と地方の子供では反応の違いなどありましたか?
牛と人間との関わり、日本人と牛の歴史についてわかりやすく、詳しく表現されています。
 「孫に読ませたい。」とか、「孫のために本を買います。」という嬉しい話も聞きました。私は出来れば高知県で学校牛を飼える様な地域に、「肉牛の絵本」をプレゼントしたいと思っています。
 日本では食用としてだけ牛を飼い出したのは40年足らずと言われています。最近BSE問題も言われ、米国産牛肉の輸入が差し止められています。アメリカ農務省は大丈夫とか言っていますが本当に信用できるのでしょうか?
 率直に言いまして、私はアメリカ産牛肉は買いません。その理由はアメリカは牛肉生産者は強い政治力を持っています。ですので安心できないのが私の心境です。
 それから「食べる権利」は国民の大切な権利です。1人1人の感性が日本の食文化を作っていくことです。
 上田さんと牛との付き合いは長いようです。上田さんにとって牛はどのような存在なのでしょうか?インドでは牛は神様のような存在なのですが・・・
 インドのように神様とは思ってはいませんが、私には古くからの友人です。特に高知県の褐牛は水田の二期作を通じて作り上げられてきた牛であります。
 褐色の色に、目の周辺が黒いという美的な牛です。特に山を歩くことに強いという特色があります。これからも牛を通じて、美味しい牛肉だけでなく、牛に働いてもらって、仕事をしていきたいと思っています。
*本文挿入の写真は上田孝道さんに提供いただきました。