民衆の文化にこだわりすぎるのは不毛
 今週のゲストはリバプール企画代表である矢野啓司さんです。矢野さんは元国家公務員で、英国とインド等に赴任されていました。カントリー・レポートライターをされていました。世界50カ国を訪問されています。
 今日のテーマは「民衆の文化にこだわりすぎるのは不毛」でお話を伺います。
矢野さんは「民衆の文化にこだわると発展性が無くなる」と言われています。昔中国で文化大革命という文化の破壊運動がありました。カンボジアのポルポトもそうでしたが、民衆文化にこだわると廃墟しかなくなるのでしょうか?
ようするにイデオロギーの対立とか、社会階層の対立などを「文化財の保全」というところに持ってくることが問題なのです。革命とか社会改革で古い文化を破壊して、従前の文化が抑圧的であるような場合には、社会が自由に発展する、大発展する場合もあります。
 しかしそれを他民族がやりますと。例えばキリスト教とイスラム教の不毛の対立にもなります。自分の民族が、先の文化を破壊する場合には、知的エリートを抹殺します。支配階級とか知的エリートの範囲が不明瞭になります。際限なく元の知的エリートとその協力者を拡大して抑圧することになります。かえってそれは「自由の無い社会」「文化の無い社会」になります。だからあまりにこだわりすぎるのは良くないと思います。

 矢野さんは「キリスト教文明による植民地支配の構造。一神教であるために他の神の文明を破壊してきた過去がある。」と言われています。アフリカやアジア諸国でその影響や文化破壊は顕著なのでしょうか?

 アフリカとか、中南米諸国を訪ねて行きますと、キリスト教徒が、地元の先住民文化、先住民宗教を意図的に破壊したということがよくわかります。植民地では、宗教の抹殺と、キリスト教改宗が行われました。支配者民族の文明と、支配された民族の文明とのが対立が極端に進めば、解決の方向が見えない悲劇となります。
 それがおこりますと、後々民衆の心が沈滞してしまって、前向きに,積極的に近代化することが、おこりにくくなります。そのあたりが問題になってきます。
中南米の国ガティマラ。建物はスペイン風。植民地時代の名残が色濃く残されています。(矢野啓司さん写真提供)
 
 高知の中での問題ですが、そうした国際的な水準で起こっている問題もやはり引き続いて考えた場合はどのように考えれば良いのでしょうか?
 日本人のなかで、特に、高知の中の議論としての問題点としてことさらの支配階級と民衆を区別するのはおかしいと思います。既に、現在の山内家は遺産相続で苦しむ庶民となっています。全く私には今日でも山内さんが支配者であるという意識はありません。
 支配者ー民衆という対立というのは、宗教対立、異文化対立、異文明対立が背景にあります。この問題をあたかも高知県内の問題であるかのように言うのは、「問題の履き違い」であると思います。安易に、類似して、そうだそうだと、早合点する問題ではありません。もうない山内家の支配構造が私達の問題だと言い続けることは、私達の発展性を阻害するのではないかと思います。

矢野さんは、インカ帝国やマヤ文明の末裔であるインディオは、近代文明を頑なに拒否しているグループもあるように伺いました。その弊害はどのようなところに現れるのでしょうか?
スペインとの混血の女性(現地文化を拒絶し、近代化の尖兵的な役割を果たす人が多いとか) 現地のインディオの女性。(頑なに近代化を拒絶している人たちも多いそうです)
 皆さんご存知であると思いますが、「インカ文明、マヤ文明、アステカ文明は、数百人のスペイン人によって、滅ぼされた。」という過去があります。
 白人を「白い肌の神が来た。」ということで、滅ぼされました。結果として先住文明はほとんど滅びました。その先住文明を記述したのは、実はキリスト教の宣教師達でした。
 そのために何がおこったのでしょうか。私たちがインカ文明、マヤ文明と言いますと、「血で塗られた儀式と生け贄」がすぐ頭に浮かぶと思われます。ところがそれを書いたのは、インカ文明は良くなかったんだというキリスト教徒の宣教師です。そういうことを(先祖はこうだったんだと)彼らは言われ続けているのです。
 それはひじょうに惨めです。あなた達は残虐な民族なんだと聞かされるわけですね。聞かされるほうはたまらないわけです。
 その反発として、どうしても自分達を守らなければなりません。守るためにはどうするのか。私たちはこれだけ特徴的なんだというところにこだわってしまいますね。
 非常に特徴的な服装であるとか、ぜったいにヨーロッパ人とは同じものを着ないとか。どんどん自分達の独自性が矮小化していっています。
 そういう風な状況が見られるように感じています。
 アフリカ諸国は欧州諸国の植民地支配を脱しましたが、現在も部族間抗争が絶えず、紛争や内戦が絶えません。やはりそれは文化的な背景が希薄でそうなった一面もあるのでしょうか?
 文化的背景が希薄であると言うのは難しいですね。部族社会という言葉を使うのも「文明人と非文明人」というのが裏にありまして、難しいのです。基本的には多民族社会と言わなければいけません。
 ちなみにヨーロッパ人もアフリカへ行けば、皮膚の白い部族と表現される場合があります。
 アフリカの博物館へ行きますと、1900年以前の文物は原始的です。そういう意味で、洗練されたもの、高度なものは見当たりません。ただジンバブエにあります、グレートジンバブエ遺跡は壮大なものです。南部アフリカの唯一の迫力ある文化財といって良いほどです。
 したがいましてジンバブエの民族であるショナ人たちは、私たちは文明人である。という強い自負を持っています。現在では街の建設や彫刻などで、歴史を誇りにして素晴らしいものを造っていますね。
 このことが、ジンバブエの民衆にプライドを与えています。首都のハラレでは、石の彫像が花開いています。建築物も意欲的であるように見受けられました。
石の彫刻が盛んです(ジンバブエ)
グレートジンバブエ遺跡(ジンバブエ)
*写真は矢野啓司さんに提供いただきました。ホームページでご紹介できるのはごく一部です。