黒潮文化圏構想について
 今週のゲストはくろしお地域研究所所長の吉田文彦さんです。今日のテーマは「黒潮文化圏構想について」でお話を伺います。
 吉田さんは九州のご出身です。以前高知は「沖縄ー鹿児島ー高知ー和歌山ー千葉」と連なる独特の黒潮文化圏である」と言われていました。
 漁業者などは、鰹や、鮪の水揚げの関係などで、静岡県焼津や神奈川県横須賀あたりに高知出身者が定住しているようです。そうした動きは戦前からあるように聞いていますが・・・
 そうですね。存在している。という風に考えたいと思います。漁業者の動きは戦前からありました。定住されている方もいます。鰹漁などは、佐賀など高知県内にもいくつか基地があります。
 黒潮の流れに沿って移動しながら、操業しています。そのなかで漁法などの交流も昔から行われていました。
吉田文彦さん
 吉田さんの発想はそれより大きな発想のように思いました。黒潮を媒介とした独自の
文化圏を想定されていたようでしたが。例えばポリネシアやミクロネシアのような文化圏があると考えたら良いのでしょうか?
 そうですね。このことについて調査、研究をしていたのは随分昔のことになります。時間がたっていますので、詳しいことは覚えてはいない部分があります。
 例えば先ほどの鰹漁ですが、戦前は、南の方へも進出していました。漁法を教えた経緯もありました。
 たぶん私達は戦前からの文化の影響もあり、事細かには色々あると思います。
 ただその事と、今新しく考えようとしようということは、高知のような日本国土の「軸線」から外れたところを連なるということ。沖縄は今、新しい拠点として注目されています。あるいは関東は首都圏に近いということで、その範疇の中に組み込まれています。
 その途中は、九州の南部、四国、南紀という形で、外れの部分があります。外れの部分を何らかの形で関係付けようとしてきました。しかし当時は同質性、共通性と異質性をその問題を解いてきました。そのなかでなんとか高知が係わり合いがもてないかなと思っておりました。
 しかし難しい問題ではあります。難しくても努力しなければならないかと思います。
 最近考えていることは、「網の目」といいますか、ネットワークですね。結節点といいますか、その役割を持てないかということです。なかなか難しい問題ではあります。
 最近よく言われる問題は、「ハブ」といわれます。空港や港湾ハブとか言われます。これを高知新港をつくったからと言って、高知がハブにあんるのは難しいですね。よく考えて見ますと、そういうところのハブになれなくても、ある種のハブは出来ないか。
 例えば大陸からですね、これは黒潮の流れとは違いますが、敦賀や和泉町に鶴が越冬に来ています。昔はもっと散らばっていたと思います。集中することで何が起こるかといいますと、鳥インフルエンザなどいろんな病気も集中したところで発生しますと、一網打尽でやられてしましますね。そういうところで言えば。四万十川流域の幡多地方で、受け皿つくりができるのではないでしょうか。
 それからシギ類なども南のオーストラリアなどからも飛来しています。こういったものを四国の自然どの高いところ、開発の遅れた地域を活かしながら、国際的な視野から「ある種のハブ」形成について積極的な役割を果たしていくのではないでしょうか。
 あたらな交流が物の移動に繋がる。という視点もこれからはありうると思います。21世紀の課題として大事であると思います。
 高知県は700キロの海岸線を有する県です。しかし海を上手く利用しているように は思えません。何故であると思われますか?最近高知ー大阪間のフェリー会社もが破産したようなのですが・・。海運は難しいようなのですが・・。
 高知市の桜の名所になっている堀川。今はプレジャーボートの基地のようです。その昔は高知市のウォーターフロントそのものであり、桜の向こうの岸には回船問屋が軒をつられた時代もありました。
 昔は道路事情の悪かった頃は海運が盛んな時期はありましたね。現在高層マンションが建っているところまで船が入ってきていましたし。堀川の北側には海運問屋が沢山ありましたし。その時代は高知県内を経由する短い海上交通もありました。
 そうですね。堀川に船が着いて繁華街が中種商店街でしたし、得月楼も繁盛していた時代もありました。
 それは簡単には説明できませんね。なかなかその経緯を説明するには時間がかかります。
 吉田さんの会社の名前はくろしお地域研究所です。会社の「屋号」にも[くろしお」にこだわられていると思われますが・・・
 国などの考え方、高知県などの考え方はいかがでしょうか?それらも含めてくろしおにこだわっている理由はありますか?
 ひらがなを使っています。もともとは海流の黒潮にかけた思いがあります。これは海の悪戯といいますか、流された土佐清水の中浜出身の万次郎、ジョン万次郎の数奇な運命を下敷きにしています。
 数奇な運命ということでは、他にも無人島に流された人もいました。また万次郎と一緒に流された人もいます。彼はアメリカの捕鯨船に助けられて以降は、積極的に新しい環境の中に身をおいて、そのなかで技術を取得、その後の人生に生かして行きました。
 ハワイからアメリカ大陸に渡り、航海術とか、技術を身につけました。明治維新という日本が国際化していく時に、大変大きな役割を果たしました。それは直接ではないですが、維新の志士達にも影響を与えています。その役割は、歴史上では坂本龍馬や中岡慎太郎が有名ですが、彼のそういう進取の気性を私達も引き継いで行きたいと思います。
 特に私達はいろんな違いがありましても、与えられた人生のチャンスに果敢に立ち向かっていきまして、何とか人の幸せに繋がるような役割を果たして行きたいと思います。
くろしお地域研究所           http://www.kuroshio-net.jp/index.html