教科書問題は何だったのか?

   今日のテーマは「教科書問題は何だったのか?」

  日本国内のみならず、韓国や中国など周辺アジア諸国まで巻き込んだ「歴史教科書問題」。しかし実際に採択されたのは私立学校の一部と、東京と愛媛の公立学校のごく一部でした。

 問題となった教科書は「新しい歴史教科書」(扶桑社・刊)です。大きな騒動のわりには採択率が著しく低い結果になりました。どうしてなののでしょうか?

1)市販本を購入し読みました。古代史の記述や説明に「日本神話」を多用しています。物語とし

  は面白い部分はありますが、実証された歴史的事実ではありません。そういう点で無理はあり

  ます。

2)韓国や中国が声高に批判している部分は、近代史の部分です。日本の明治維新から西欧型近

  代国家への成長過程は、韓国にとっては日本の植民地になる過程でした。韓国の近代史は、

  日本の植民地支配からスタートという歴史になっています。

3)検定教科書であっても、「国定教科書」制度では日本はありません。文部科学省が内容を吟味

  「合格」を通知しただけです。教育現場での教科書採択は、各地の教育委員会の意向や、現場

  教員の意向が強く反映される「仕組み」になっています。中国や韓国のように国定教科書制度で

  はない民主的な採択制度の結果が、自然に「著しく低い採用率」になりました。

  • ただ現場の意向よりも地方議会の意向を反映させるような政治的な動きが、一部の保守系勢力

の政党関係者から出ています。それは危険な考え方だと思います。

  • 歴史は事実の積み重ねですし、過去の出来事の集大成です。現代人の「解釈」により歴史はどう

にでもなったしまう実例であります。西洋流の歴史史観に「一石を投じた」効果は認めますが、それから先の展開を国民は望まなかったと言えます。

  • すぐには無理でしょうが、周辺アジア諸国の学者と一緒に「アジアの歴史教科書」を作成すべきで

あると思いました。

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2002年3月1日