品川正治さん講演会 その5
 
■戦争国家アメリカと平和憲法を持つ日本の違い
 今アメリカは戦争しているんです。アメリカが戦争していることによってアメリカはすべてを動員しているわけなんです。
 世界銀行はオロフォビッツというイラク戦争の張本の人が世界銀行の総裁に任命されているわけなんです。国連からつべこべ言われたくないために、国連をもっとも憎んでおるボルトンをアメリカは国連大使に任命しているわけなんです。そういう意味では徹底的な動員を行っております。外交、国際、経済、中心を全部押さえているわけです。
 もう一つの価値、これは相当大きな問題があります。日本はアメリカと価値観を共有しているという、言い方が戦後ずっと今まで、マスコミも含めてそういうふうな受け取り方をずっとし続けている。
 これがいろんな問題の混乱の最も基本的にある。平和憲法を持っている国日本と、戦争しているアメリカとが、価値観が一緒だという、その仮定の下に立っていろんなことが行われている。
 マスコミの方がおられると、それは酷すぎるじゃないかとおられるかもしれませんが、マスコミも間違えております。中国とは価値観が違うけれどアメリカとは一緒というのは日本人のほとんどが考えている。小泉総理に至っては、アメリカと日本と、アメリカの敵は日本の敵だと、アメリカの国益を守ることが日本の国益を守ることだと。そういうふうに、はっきりと言っているわけです。

 品川正治さん講演会は、経済人の観点から独自の視点で、「日米関係」を述べられました。

 とてもわかりやすい言葉で、日本とアメリカの違いを説明いただきました。

 そこのところがものすごく混乱しているために、いろんな問題が極めて複雑な形をとってしまっている。無理にそういう説明をしてしまったために、なかなかそこから抜け切らないというのが今の日本の現状なのです。安保条約ひとつを取りましても、価値観が共有しているから安保条約があるんじゃないんです。価値観を共有してなくても国の安全保障とかなんかで安保条約があるんです。それを頭から価値観が一緒だという前提からものをはじめてしまうと。その典型が現在の状況です。
 アメリカは戦争している国だと、それを直視していないです。日本人は広島長崎の経験があるために、イラクの戦争でアメリカが死傷者が三千人に満たないということが、たいしたことじゃないという感覚をお持ちの方が多いとおもいます。しかし日本が始めた中国での日中戦争の初年度の日本の戦死者は五千名です。けしてアメリカの戦死者が大した数ではないという考え方は成り立ちません。あの日本の北支、中支、での初年度での戦死者は5千名なんです。そういう意味でアメリカは今必死になって戦っているんです。先ほど言いました3つの戦争の条件は、全部満たしているはずなんです。
 そのの価値観と日本の価値観が一緒だという考え方で問題を見ようとするから非常に話は混乱する。今のところやはり、みなさん方もこれからものを見られる場合のひとつの基本的な座標軸に置かれたら、極めて簡単です。価値観が違う。違うけどこうしているんだと。一緒だからこうしているんだというのとは、全く意味が違ってきます。これは私自身、こういう形、いろいろなところでお話しする場合に最も強調したいことのひとつなんです。

沖縄糸満市にある「平和の礎(いしじ)。23万人を超える千仏者の名前が刻まれています。

日本人だけでなく、アメリカ、中国、韓国の戦没者名が刻まれています。

 アメリカの資本主義と、日本の資本主義も違うんです。基本的な価値観が違うんですから、経済でも違うんです。覇権主義的な経済は日本は取れないはずなんです。アジアの覇権を中国と争うなどということを平和憲法を持っている国である限りそれを狙うことは過ちです。
 さらに大きな成長・成長という形で経済運営すること自身が、国際的なかく乱要因にならないかどうかを、検討したうえでやるべきなんです。アジアではかなり高い成長を示して、また一国経済としても十分な力を持っているタイ国がGNPは日本の3%なんです。日本が3%伸びるということは、もしやり方を間違えればそこを削る格好になるわけなんです。
 その点では平和憲法持っておる日本の、経済のあり方というものと、そうではない国の経済のあり方とでは、おのずから違わないといけない。この点に関しては、今まであまり言われてこなかったことなんです。私自身も反省しております。経済人として平和憲法を持っている国の経済のあり方はどうかという形で問題を提起することはほとんどありませんでした。成長・成長という形で経済は運営されてきました。
 確かに日本の場合は、先ほどアメリカの経済と同じ資本主義でも違うというと言われることに関しては、「いや一緒だと」、言いたくて仕方なかったんです。しかし明らかに違うんです。日本の経済あの焼け跡で、何もない時から世界二位までの大きさにまでなったのですが、ものすごく条件はそろっていたわけです。若い労働力というのが、復員軍人も含めて年間に数百万経済界に入ってくるというそういう恵まれた、経済の成長の一番の大きな要因を持っておったわけです。それは現在はまったく逆で、少子化問題、高齢化問題として論議される状況になってのおるわけです。
 もう一つは、東西冷戦の時に平和憲法持っている日本は兵たん基地を引き受けたわけです。これは通商国家を目指す日本にとっては、最善の選択ができたわけです。どこの国からも文句を言われずに輸出を伸ばしていったわけです。これが経済の奇蹟を作った。しかしもう冷戦状態はなくなりました。完全になくなってくるわけです。
 冷戦が終わった後のクリントン大統領は次の敵は日本だということをはっきり言っているわけなんですね。あの時から毎年、年次改革要望というのがアメリカ政府と日本政府との間で郵政の問題だとか、年金の問題だとか、医療の問題だとか、教育の問題にまで入りでした。そういう形で日本の資本主義というのを変えようとしてきた。
 何を変えようとしているのか。
 それは、日本は経済大国を目指すけれども、資本家のための経済大国は作らない、というのが今までも日本経済の行き方でした。修正資本主義という呼ばれかたをしたことがある、これが日本の経済の行き方だったです。
 ある産業がものすごく伸びた場合、必ず格差が出てくる。ある地域の経済がものすごく伸びた場合、必ず格差が出てくる。その格差をできるだけ作らない、税制、財政を使いながら、それを作らない。どちらかと言えば中流階級、中産階級の大国にしようというのが、日本の目標だったのです。ところが現在は、あのバブルの崩壊以降、国民がある種の閉塞感に包まれて、なんとかならんのかと思っているときに、改革改革という言葉だけで国民は乗ってしまった。
 誰のために改革しようとするのか、どこを改革しようとするのかという問題は、ひとつも答えていない。改革という言葉に、ひっかかってしまった。現在の格差問題というのもまさにその通りなんです。ただ小泉さんは何ともこたえてませんが、基本的な姿勢としてはひとつは、市場原理主義というものが経済政策の基本にございます。もう一つは規制緩和というものがございます。もう一つは官から民、大きな政府から小さな政府という形でなされております。しかし市場原理主義、すべてが市場が正しい、市場に配分を任せばよろしい。
 その市場がアダムスミスの時の「市場」じゃないんです。資本の意味が変わってしまっているんです。資本というのは資本労働と言われる生産のための資本だったはずなんです。ところが今の資本は、生産のための資本というのはごくわずかです。もうけるための「資本」になってしまっている。
 その変化を見ようともしないで、市場が正しいのだという言い方をされた場合、私も経営者の1人でしたが、そんな株価に一喜一憂して経営なんか出来るもんじゃありません。社員のことを考え、私は損保でしたから代理店のことも考え、契約者のことも考え、取引している大企業のことも考えてそれでやっていくのが経営者だったんです。株価に一喜一憂してそれで市場から評価されているとかしないとか、というような形での経営はまっぴらです。
 しかし今の経営者は気の毒です。それを中心にしてやっていけと言われているわけなんです。その点では市場原理主義の「市場」そのものが変わっているということを、なぜ見て見ぬふりをしているのかと。この辺は小泉改革のひとつの問題点です。
 一番大きな問題はだれのための改革か。資本家のための改革をやろうとしていることが1番大きな問題ですが、具体的な政策でいえば市場原理主義というのは、はっきり言ってアメリカ、アングロサクソンの形以外の国では、そういう原理をきっちり持っている国はございません。
 だいいち、市場にはできないことがいっぱいあるんです。モノの値段は決められても、市場に福祉はできるのか。市場が教育をできるのか。市場が社会を進めることができるのか。それは戦争に関して申しましたけれども人間の努力なんです。人間の努力を市場が代わってやれるという問題ではないんです。その点では市場原理主義というのは非常に問題がある。
介護という分野も単に商業ベースで出来ない部分はあります。人間の尊厳に関わる分野です。
 規制緩和に関して申しますと、これもだれのための規制緩和かという問題になるわけです。普通、自由といいますと、権力からの自由なんです。今の規制緩和は、大企業が権力への自由を求めてきているわけです。権力からの自由と、権力への自由は全く逆になるんですよ。自由という言葉をそういう形で使うことに関しましては、心外そのものです。権力への自由を自由だと言っているのが今のやり方なんです。
 もう一つは官から民へ、いま官僚攻撃、地方公務員も含めてものすごく国民の世論が役人に対して攻撃的に向られております。確かに国民の目線で見ても、改めるべき問題というのはたくさんあるだろうと思いますし。しかし現在の政権が官僚に対するあれだけ執拗な攻撃をかけている一番大きな理由は、私自身ひがみ根性で申すわけではございませんが、修正資本主義本尊が官僚だったというふうに考えておることが一番の大きな理由、過去の恨みを晴らそうという感じが、非常に強く出ております。
今の官僚がやっていることを私がすべて正しいとか、そういう意味ではございません。しかし修正資本主義を支えてきたのは官僚であることは間違いないんです。それを変えるためには本尊を攻撃するという、見え見えなんです。
 大きな政府といえば、一番大きな政府は軍事政権ですよ。大きな政府から小さな政府へと主張する人へたちは、「それじゃあ憲法九条二項は守るんだな」と私はいい返します。それが一番大きな政府だよ。それは別だという形でしか回答はありません。しかしはっきり言って、大きな政府小さな政府という形での官僚攻撃というのもますます激しくなってきております。
 もう一つ日本の場合は、格差というのは都市と農村の格差、あるいは中央と地方の格差だったんです。これを日本の場合は財政的には無理に無理を重ねながらとにかく国土の均衡ある発展というのを目指してきたことは事実なんです。それも切り捨てました。これが現在置かれている状況なんです。
 にもかかわらずアメリカと日本の価値観は一緒だと、言ってしまったがために、そういう問題は全部、複雑でわけがわからないような格好で解説されるようになってしまった。マスコミの責任は大きいです。はっきり「違う」と言ってしまえばずいぶん楽だったのに、違うと言われることが嫌だった。
 リビジョニスト、異質論者という言葉が日本が経済的にまだバブルの崩壊以前には、ひがみの言葉としてアメリカを中心に言われました。今その全く逆で、全部そういう形で日本の経済にしわ寄せがきている。問題としては先ほどお話ししました、戦争における3つの問題の中の一番大きな価値観が転倒してしまうということを考えた場合、日本とアメリカの価値観は違う、私はここで断っておきますが、最近藤原さんのような方が武士道とか何とかという形で価値観の違いを言っておられる。これは私はとっておりません。平和憲法を持っている国と戦争している国の価値観の違いを言っているわけなんです。
 ただここで今の苦しい状況を、あるいは旗(日本国憲法の)がボロボロになった状況をお話ししましたが、私は基本的にはもしここで国民が改憲をノーと言った場合、どういう大きな問題が起きるか。ドエライことになります。国民投票を必死になってやろうとしている。しかし国民がノーと言った場合には今までの日本の支配政党がやってきたことはほぼ否定されるわけなんです。
 同時に日中関係もすっかり変わります。日中関係が変わって日米関係が変わらないということはあり得ないんです。私はつい先だって、外交官だけを集めたところで話をしたことがあります。外交の力でアメリカとの関係を変えられるか、前駐米大使の方が4名いらっしゃいました。「いや品川さんそれは無理なんだ」。そういう言い方でした。「それはいくらわれわれが努力しても難しいんだ」。そういう言い方でした。
  ところが、今度の改憲に関しまして国民がノーと答えたらすべて変わってちゃうんです。外交官の出番じゃないんです。国民の出番が来てるんです。変えようという形になれば、国民が会見にノーと答えることが最大の力になります。今だからこういう形で憲法九条に関しましてもいろいろ話しておりますが、私はそれに期待をかけているわけなんです。
 学校時代に習いました。日本国憲法を改正するためには、国会議員の3分の2以上の賛成と、そこで憲法改正の発議がされ、国民投票により過半数の賛成があって、憲法は改正されます。
 もし日本の国民が改憲勢力が出している案に対して九条二項をなくそうとする案に対してNOと言った場合、ベルリンの壁が崩れたどころの騒ぎじゃないんです。世界二位の経済大国がその道を歩む、戦争をしないという形で物事を見ていく。はっきり価値観が違うという形で答えた場合には、どれだけ大きな世界史的な事件になるか、まさにみなさん方がちょうどそういう時期に遭遇しておられるわけなんです。
 しかも日本は国民主権の国なんです。「誰かが戦争を起こしたんだ」という言葉は逃げ口上にはなりません。「誰かが改憲に賛成したがためにこうなったんだ」という逃げ口上は許されません。そういう意味で現在の運動というのは、まさに世界史的な大きな運動をやっているんだという自覚をお持ちになって、今後の活動をしていただきたい。
 もしそういう形になれば今後の日本のあり方というのは、平和憲法を持っている国としての経済、平和憲法持っている国としての外交、それを追求していく形になります。そういう国としてわれわれの子供や孫にこの国を残したい。それこそ本当の世界から尊敬される国として残したい。
 私はもうこの年でございますけれども晩節はそれでまっとうしたいという気持ちでいっぱいでございます。ちょうど時間になりましたのでこの辺でやめさせていただきます。どうも御静聴ありがとうございました。
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