生け花の歴史について その1
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今週のゲストは、生け花草悦流家元の猪野伸一さんです。今日のテーマは「生け花の歴史について その1」でお話をお聞きします。 猪野さんはフラワーショップ花樹を経営されるかたわら、家元活動や所属する華道協和会の活動もされご多忙な毎日です。 日本人と生け花とは切っても切れない関係なのですが、一体いつごろから、花を活けるようになったのでしょうか? 日本の自然や四季、植物の生態系が、日本独特の「生け花」の形成に関係しているのでしょうか? |
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まず最初の質問ですが、大いに関係をしています。いわゆる生け花というものが日本の社会に現れましたのが、室町時代の後半で16世紀と言われています。
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まずは日本の風土が生け花の成立に大いに関わっています。四季折々に微妙な変化があるということです。四季があるという事は、それぞれの時期にいろんな草花や樹木が咲き、散っていくことを縄文以来私たちの先祖はつぶさに見ておりました。 そしてもうひとつ大事なポイントは日本列島西南部が、照葉樹林帯に属していることです。照葉樹林帯と言いますのは聞きなれない言葉でしょう。別名常緑広葉樹林と申しまして、、常に緑があり、広い葉っぱの木の林のことです。照葉樹林帯は、「照る(てる)葉っぱ」と書きます。 この樹林帯が日本にあったことが、生け花の成立に大いに関係があります。常に緑の葉っぱヲたたえている。そして古代の日本人は、一方で落葉する葉っぱがあるにもかかわらず、常に緑をたたえている。もしかするとこのなかには「神霊」(神が)宿っているのではないかと考えるようになりました。 |
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日本の山々は緑が深く、照葉樹林帯が多い。(いの町吾北) | 楠の並木道は市民の心を癒しています。(高知市) |
今までのお話の中で、樹木や花に神が宿っている考え方を日本人はしていたと言われまし た。伝統的な神道や、伝来の宗教である仏教などの影響もあるのでしょうか?日本人独特の感覚は花に関しては特異なものがあるのでしょうか? |
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まさにけんちゃんの言われるとうりであります。日本人は樹木に関して独特の信仰がありました。それを依代(よりしろ)観と申します。聞きなれない言葉でしょうが、依(より)は「ニンベンに衣(ころも)」と書きます。「代」(しろ)は時代の代ですね。 それはどういうことかと申しますと、常緑の常盤木(ときわぎ)は神霊が宿っているのではないか。そういう特殊な感覚を古来より日本人は持っていました。 思い出していただきたいのは、お正月に門松をたてます。門松は立てた松に、神霊が山から下りてきて宿るという考え方です。また建設工事などの地鎮祭ですが、敷地の四方に竹笹をさします。それは竹笹を依代(よりしろ)として、神霊が降臨してきまして、工事の安全と、工事の後はお家の安全を託す。日本人古来の習俗であります。 鰹船やマグロ船が出航するときに、大漁旗とともに竹の笹もまさに同じように役割を果たしていると考えます。 |
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漁船には大漁旗とともに、竹の笹が取り付けられています。古来からの日本人の信仰心なのでしょう。 | |
これは神道の考え方です。アミニズムと申します。このように樹木に関して日本人の感覚は多分に神道的なものがあります。 一方仏教の影響も大きいものがあります。6世紀に中国から、朝鮮を通じて日本に初めて公の形で仏教が伝来しました。百済の国を通しまして、仏典とか仏像がはじめて日本に伝来しました。その後日本は国家として仏教を国の宗教として受け入れることになりました。 おびただしい数の仏典が日本に入ってくるようになりました。生け花にとって大事なことは、その仏典の中に、仏様を供養する方法が述べられています。どの仏典にも仏様にもお花を供えるという供養の方法が書いてあります。これを供花(くげ)と申します。「供える花」です。 神道の考え方と、仏教の考え方が受けいられるようになりまして、100年、200年と経過する中で徐々に日本人の生活の中に花を活けるという行為が溶け込んでまいりました。 |
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このように木によせる日本人は特殊な心情を持っていました。日本の風土の中で常盤木には、「命の永遠性」を見る。また落葉した木々には「生の蘇り。蘇生」を見る。こうした特殊な日本人の心情の中に仏教が入ってきました。そこで複合的に日本人の生活の中に花がとけ親しんで行きました。これが室町時代の後半に生け花が成立するまでの、前段の長い長い時間だったわけです。 | |
生け花の写真は猪野伸一さん提供です。生け花の形になるまでには長い歴史がありました。
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