理想のメンタルヘルスクリニックとは?
 今週のゲストは、雑誌Velocity編集長であり、高知大学医学部学生の武田幸恵さんです。今日のテーマは「理想のメンタルヘルスクリニックとは?」でお話しをお聞きします。
 日本ではまだまだ診察を受けにくい精神科の領域にて、「メンタルクリニックサロン」をこしらえることを武田さんは将来の目標にされておられます。
構想によりますと、東洋医療を取り入れた漢方カウンセリングや、色彩学を取り入れたカラーリング、アロマセラピーなど患者本位のクリニックサロンを想定されています。
 ということは従来の精神科へは、行きづらかったのでしょうか?
 まずお断りをさせていただきますが、私はまだ学生で、勉強中の身分ですので、全ての発言を真に受けないでいただきたく思います。雑感程度に聞いて下さるぐらいが丁度よいかと思います。身分不相応な発言もあるかと思いますが笑ってお聞き納め下されば幸いです。
まずは、精神科がとりまく現状についてお話させてください。精神科は唯一、患者さん自身が主体的に「行きたい」と思えない診療科で、重度の症状を呈してから、もうどうしようもない状態で来院されることがよくあるそうです。
うつ病の場合ですと、自覚症状があっても、「ストレスの問題」としてご自分で解決しようとする傾向があり、精神科を受診するという選択肢があるのにも関わらず、仕事の時間と合わなくてお一人で悶々と悩む。周りもうすうす様子がおかしいと気づきながらも、それが「怠惰」「その人の性格」のようにしか思えず、親身になって話を聞いてやろうという気になりません。
 精神科の患者さんになるべき方々はご自分の判断で、「精神科に行かず、他人と接するのを止めれば迷惑をかけない。どうせ周りは自分の事を分かってくれないし、これは自分の甘えだから自分で何とかする。」という考えを選んでしまいます。
そして、最悪のケースとして、「ご自分で責任を取る」という意味で自殺をされてしまうケースがあります。責任感の強い方こそ顕著なのです。
 精神病への偏見自体は、最近のメディアや学校教育である程度の改善が見られたと思います。「うつ」という言葉だけが一人歩きをして、周りの人間がその症状を感知できないが為に、患者さんをとりまく環境はまだまだ良くなったとは言えません。
そこで私はじゃあ、精神科が変わればいいんじゃないか、と思い始めたのです。
武田幸恵さん
 精神科は需要が膨らんでおり、その分、クリニックも増えることでしょう。
 私の構想では「癒しの空間をつくりたい」と思います。癒しと言う言葉は今少し安っぽく使われています。精神科でもてなすつもりで、患者さんに「いらっしゃい」という雰囲気を出そうと思っています。
 女性誌でもよく取り上げられています、東洋医療をとりいれた漢方カウンセリングや、色彩学を取り入れたカラーリング。アロマセラピーと言いますと一見商業的に見えるんですけれども、これはれっきとしたニーズです。このニーズは「お金儲け」とか受け取られますが、お金を出してこういう助けが得られる考え方をされる現代の方は多いと思います。
 私は精神病を煩われた患者さんが、そういう風に割り切って病院にいけるのでしたら、私はそちらの手段を取らしていただきます。
専門のカラーアドバーザーもいます。鎌倉荻野塗料
環境色彩設計の専門家もいます。
 
 武田さん自身も、お悩みになられた時期もあったように伺いました。学生の間にいろんな人達の考え方や行動パターンを理解することも必要であると言われています。Velocityの取材や編集活動でいろんな人たちにお会いされたと思います。活動される中で「サンプル」(というのは適切な表現ではないですが)は十分収集することが出来ましたのでしょうか?
 サンプル収集というと、聞こえはよくありませんが、要するに「学生時代の間に色んな方々とお話をして、将来精神科医になるにあたって、患者さんの病理だけを考察するだけではなく、生活背景や嗜好性、その方の生い立ちを含めて多面的な要素を含めた『人間観察』を行いたい」と考えていました。
 雑誌つくりは今まで雲の上のような存在の方々とも『記者』という肩書きだけでお話させてもらえますし、その上でとても勉強になっていると思います。まだばだ「サンプル収集」は充分とは言い切れず、貪欲に沢山の方々に直接お会いしてお話していきたいと考えております。
 現在日本は年間3万人を超える人たちが自殺しています。その3分の2ぐらいが、私と同世代の50歳代以上の人で、生活苦が原因と言われています。「自殺防止学会」などをこしらえる必要性はあると思いますが・・・・国などの動きはどうなのでしょうか?
 そうですね私的に「自殺防止学会」という名前で活動されている団体はあります。公的にはまだありません。いわれるように「自殺防止学会」は必要な学会であると思います。
 精神科医や心理カウンセラー、いろんな職業のみなさんを集めて公的な学会はこしらえる必要性があります。急務であると思います。
  最近目立つのは「ネット自殺」です。防ぐ方法はあるのでしょうか?若者が何人かネットの上で交流して実際に集まり、車や密室の中で集団自殺したりするのをメディアで見聞したりします。
 防ぐ方法と言うのはあるのでしょうか?
 そうですね。防ぐ方法を一言で言うのはとても難しいですね。難しいところは「ネット自殺」という言葉で取り上げてしまいますと、急増してしまうことです。今まで自殺出来なかった人が自殺できるようになってしまうということです。
 そこが問題ではないかと思います。
 ドラッグやアルコールで紛らわしていたことが、直接的にネットでアクセスできるようになりますと、「自殺の後押し」をされてしまうことになるからです。
 ある意味、これは現実から乖離した世界のことなのです。この「ネット自殺」という言葉だけを取り上げるのは、その現象をああだ、こうだと話し合うのは私は無意味だと思います。
 足の裏のマッサージなども癒しには役立ちます。最近では専門のフットケアも育ってきています。
 現代社会は昔と異なり「おせっかい」を焼く人が減少し、孤立していることも、心を悩む人が多くなった原因ではないでしょうか?

 そうですね。私は現在社会は「けんかすることを恐れている社会」だと思います。傷つきやすい時代だと言われています。最近ではそれすら通りこしまして、「傷ついていることすらわからない」「傷つくことをどうとも思わない。」世代があるのではないでしょういか。
 傷つくことが怖くて、自分の感覚を麻痺させて、鈍感にならざるを得なくなってしまっています。だから他人のことがわからなくなります。他人のことに気を使うことがなくなります。そのことで、また現実と乖離してしまうということですね。
 というところでサイクルが出来上がっているのではないかと思います。ですので、私は「けんかできる教育」、つまりたくましさを育てなければなりません。
 原点回帰であると思いますが、それは高知県では逆にスポーツが盛んですし、そういうことで都会ではできない教育を提供できるのではないかと考えています。
 雑誌を発刊する過程や発刊後も編集部には、多くの意見が来ると思います。なかには苦情も来たのではないでしょうか?そのあたりはいかがでしょうか?
 高知に来て私はとてもたくましくなったと思います。雑誌をつくっていますと、私の予想外のところでたくさん苦情が来たりします。そういう苦情を恐れなくなりました。現代社会も責任と言う言葉が重くとらえられています。
 苦情も納得できる部分は、もちろん謝るべきです。たぶん言い返せる力。自分では処理できないことなどは、割り切って考えていけばいいのではと思います。
 そこが私にとりましても成長した部分です。皆さんにとっても。現在社会にとっても「たくましさ」がキーワードであると思っています。
 

 はりまや橋サロンでの武田幸恵さん。土佐備長炭で焼いた秋刀魚を食べています。誰もが交流できるはりまや橋サロン。

 様々な出合がこの日もありました。広場や、コミュニティは都会でも地方でも必要な「装置」ではあります。